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スカー・ティッシュ―アンソニー・キーディス自伝レヴュー
アンソニー・キーディスのドラッグ癖については、ファンだからもちろん知識としては知っていました。けれど、この本を読んで初めて、それはおれが考えていたような生やさしいものじゃなかったんだという事を知りました。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフロントマン、アンソニー・キーディスが初めて著した半生記。バンド活動、交遊、女性遍歴、そしてドラッグ体験が、まさに赤裸々に綴られています。少しでも金が入るとすぐさまディーラーの元に直行、手に入るだけのヘロインやコカインを買いあさっては摂取しまくる、家のないアンソニーを親切に住まわせてくれたマネージャーの家の備品を黙って売り払い、ドラッグ購入の金に充てる、窃盗や無銭飲食は日常茶飯事…等、人間としてそれはどうかと思うようなアンソニー像がこれでもかとばかり記されています。
「あの日のような思いは二度としたくない、おれの愛する場所へ連れて行ってくれ」と「アンダー・ザ・ブリッジ」でドラッグ体験からの脱却を感動的に歌っても、ダライ・ラマに会うといった得難い経験をしても、けっきょくまたずぶずぶのドラッグ生活に戻ってしまう。長い間クリーンな生活を続けていても、「今夜一回だけ打とう、それでおしまい」と甘い考えで再びドラッグを始め、延々と何ヶ月も、深刻な状態になるまで続けてしまう。ジャンキーの考え方がこれだけリアルに描かれている文献という意味でも、この本は貴重であると言えます。また、RHCPが売れて名を知られるようになってからも、「アンソニーじゃないの?」と近づいてきたファンがドラッグで人相が変わってしまったアンソニーを見て「あれは違うよ」と去っていく話、アンソニーがドラッグに耽溺するため連泊していたモーテルでRHCPTシャツを着た親子連れを目撃し、自己嫌悪に陥る話など、「世界的なバンドRHCPのフロントマン」像と現実の「ただのジャンキー」像との乖離におののく姿も印象的です。
ファンとして1988年からこのバンドを見てきたので、本に書かれているストーリーの途中からリアルタイムでつきあってきました。いわば「表向きのアンソニー・キーディス」を、おれはメディアを通して見続けてきて、「ダークサイドのアンソニー・キーディス」を知ることなくファンを続けていたと言える訳ですが、今この本を読んで思うのは「こんな状態でよくきちんとバンド活動を続けてきたものだなぁ」という事です。売れない頃は住む家さえなく、ドラッグと馬鹿騒ぎを求めて毎夜L.A.の街を彷徨っていたアンソニーの記述を読むと、人間として体裁を繕う事すら難しかっただろうにと思えます。けれど実際には、アンソニー・キーディスは雑誌のインタヴューを真摯に受け、ユーモアと知性をまき散らし、バンドの仲間とともに意味のある音楽を作り続けていたのです。
そういう意味ではおれも、この本で自らが描いているような「その場限りの嘘で誤魔化すのが大得意」なアンソニーにすっかり騙されていたと言えるのかもしれません。けれども、アンソニーが「過去にやってきた事を後悔してはいない」と述べている通り、おれも昔のアンソニーを否定する気にはなれません。「ハイであること」を常に追い求め、美を追究する原動力と、惨めで悲しいドラッグ性向…この両者は表裏一体で、分かちがたいものだと思うからです。
最低の生活を続け、家族を含めた周りの人を悲しませても、アンソニーの人生には確かに愛はあったし、ドラッグにまみれ、感情面で問題を含んだバンド生活の中でも、残してきた作品には確かに価値があったのです。惨めで生々しい記述がほとんどながら、ある種のポジティヴさに貫かれているこの本は、そのままアンソニーの生き方を体現していると言えるのではないでしょうか。最後で語られるアンソニーの「ドラッグ哲学」は、歪んではいても説得力のあるものです。もちろん、神様がいきなり現れて、おれに「なんならアンソニーの人生と入れ替えてやっけど、どうする?」と言われてもまっぴらごめんではありますが。
それにしても、感心させられるのは周りの人々の寛容さです。どうしようもないアンソニーを支え、愛をもって接してきたバンド仲間、家族、恋人達の我慢強さや優しさには心を打たれますし、アンソニー自身が言う通り、それがなければ今のアンソニーはなかったでしょう。個人的に、これからはこの「寛容さ」をテーマにして生きていきたい、そう思いました。
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