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ミクスチャー

 RHCPが「母乳」や「Blood Sugar Sex Magik」を発表して日本でもその名を知られるようになるにつれて、彼らをいわゆる「ミクスチャー・ロック」の旗手として取り上げる動きが雑誌メディアその他で表れてきた。

 もちろん、この手の音は嫌いじゃないし、そういった「ミクスチャー・ロック」をやるバンドは、RHCPと同郷のフィッシュボーン、ジェーンズ・アディクションといったグループをはじめ、24-7スパイズ、サイケファンカパス、リンボー・マニアックス、アーバン・ダンス・スクウォッドといったそれほど著名でないものまで含めて、探し出しては聴く、ということを続けていた。今でも「ミクスチャー系」という言い方でジャンルが確立してるようなシーンに対しては、黙ってみていられない、といった感じで、いつも気にしている。

 ただ、一口に「ミクスチャー」としてくくられてしまうこれらのバンドだが、それぞれ特徴、持ち味はかなり違うので、これらのバンドを、全部ひっくるめて「ミクスチャー」という一言で片づけてしまうことには抵抗を覚える。例えばRHCPとジェーンズ・アディクション、フィッシュボーンの3組を比較してみれば分かるが、音楽性はまったくといっていいほど違う。なぜそんなに簡単に同じ枠に放り込んでしまえるのだろう。

 そもそも「ロックンロール=ロック・アンド・ロール」自体、50年代に白人のカントリーと黒人のR&Bが結びついてできあがったものだ。ロックンロール自体成り立ちは「ミクスチャー」だと言えるし、時代を経るに従ってロック自体も変化し、色んな要素を取り込んでその形を変えていく、と考えるのが普通だ。「ミクスチャー」とか「グランジ」などの「オルタナティヴ」ロックに対比される「オーソドックス」で「ノーマル」なロックとは、いったいどのバンドがやっているのだろうか。そんなバンドはたぶんいないし、いたとしてもそのバンドがやっている音楽は、もはや「ロック」とは呼べないだろう。いずれにせよ、「ミクスチャー・ロック」という言い方自体、意味がないように思えてしまう。

 上に挙げたバンドに共通している特徴は、ファンクのビートだと言っていいだろう。個人的には「ミクスチャー・ロック」と呼ばれているものの正体は、ハウス、ヒップホップなんかも含めた、世界的な「ファンク/グルーヴ復興」の大きなムーブメントの一環だったのでは、ととらえている。

 80年代後半の音楽シーンを制覇していた、あの悪しき「ユーロビート」―4拍子のオモテでリズムをとる単調で無味乾燥な音楽―への反動から、「ファンク/グルーヴ」―16拍子で細かくリズムをとり、いわゆるウラ拍でキメるビート―を希求する方向へと多くのミュージシャンが向かっていたのだ、と思う。この「ファンク/グルーヴ」指向はすでに一般化していて、当たり前のものになってしまった感がある。例えば……変な例で申し訳ないが、ジャニーズ事務所のアイドル、80年代の光GENJI「ガラスの十代」と最近の「嵐」(嵐)を比べてみてほしい。リズム、グルーヴ感という面で相当進化してきているのが分かると思う。アイドル歌謡でも間奏ではラップをやる時代なのだ。

 かなり乱暴な言い方だが、ヒップホップもハウスも、つきつめて考えればその正体はファンクだ。その点でデヴュー時からファンクを追求していたRHCPのセンスは特にすぐれていた、といっていいと思う。そして、音楽性は違えど同じようにファンクに力点を置いたジェーンズ・アディクション、フィッシュボーンといったバンドがL.A.から同時発生的に出てきたのは、なにか示唆的なものがあるように感じる。

 一時一世を風靡した感のある「ミクスチャー・ロック」だが、ポイントは「ごちゃ混ぜにする」事そのものが目的だったのではない、ということだ。ブラックミュージックへの憧憬と、パンクの衝撃、それらを「普通に」消化した彼らは、自然にミクスチャー的スタイルを身につけていったのであって、「これとこれを混ぜてやれ」というような目論見があったわけではけっしてない、ということだ。凡百のフォロワーが泡のように消えていったのは、当然の帰結といえる。「Rockin' On」誌がRHCPを軽視する一方で大々的に持ち上げていたリンボー・マニアックスなどは、いったいどこへ行ってしまったのだろうか、と考えたりしている。

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