Disc Reviews

Shadows Collide With People/John Frusciante

 3年ぶりに発表された、ジョン・フルシャンテ4枚目のソロアルバム。フリー、チャド・スミス(RHCP)、オマー・ロドリゲス(マーズ・ヴォルタ)といったゲストを迎えて制作された。前作「To Record Only Water For Ten Days」のレヴューで、ぼくは以下のように述べている。

もちろん、金をかけてスタジオミュージシャンを雇い、いい機材を使って作ればもっと「しっかりした」アルバムを作ることはできただろう。個人的にはそうしてほしかったと思っている。

 この、「しっかりした」作品という点に関してなのだが、今作では驚くほど進歩している。楽曲そのものの良さはもとより不変のものだと思うのだが、前作と比較するとその違いはあまりにも明瞭だ。すべての楽器の音はクリアに響き、ジョン自身のヴォーカルスタイルも曲毎に表情を変える。アレンジャーとしても、ヴォーカリストとしても、あるいはプロデューサーとしても、確実に進歩したジョンの姿が見て取れる。特にヴォーカルの表現力の向上はすごい。

 この人がソロでやるときの基本的スタイルは「生ギター」という事ではないかと思うのだが、今作ではそれをベースにした上に、技巧を凝らした様々なアレンジが施されている。まずは、RHCPのワークでもすっかりおなじみになったコーラス。ドゥ・ワップやビートルズのそれをお手本にしていると窺えるスタイルなのだが、なにか独特の味があるというか、非常に心地よく耳に残るコーラスをつけるのだ。コーラスに関しては、すっかりものにしたという感がある。次に電子音。Moog VoyagerやDoepfer A100といったアナログ・シンセサイザーで作り出されるそれは、ほぼアルバム全編に渡って繰り広げられる。電子音だけで構成されたインストゥルメンタルの曲もある。一聴すると耳障りなノイズにしか聞こえないはずの電子音が、不思議と「まさにこの音しかない」と思わされるほど、絶妙なタイミングで絶妙な音が配置される。こうした電子音が、一度聴けば二度、二度聴けば三度…と、なんどもこの作品を聴いてしまう魅力になっているような気がする。コーラスと電子音こそが、ソロ・アーティストとしてのジョン最大の特徴ではないか。

 もはや音楽的にはジョンとの人格の境界が曖昧なジョシュ・クリングホッファー(バイシクル・シーフ)のすばらしさは、改めて指摘するまでもないだろう。2曲目では歌声も披露している。また、前述のチャド・スミスはシンセ曲以外の全曲に渡っての参加であり、このアルバムをビシッと引き締める要になっている感がある。

 なにかのインタヴューで「曲は神なんだ」と話していたジョンを思い出す。レコーディングの過程において、ジョンは曲の作者であると同時にその曲の良さを最大限に生かすため、献身的に尽くすべく、全力を出して働く「僕(しもべ)」であるはずだ。曲という神を前にしたジョンはただただその曲が本来的に備えている力を引き出し、ひたすらそのすばらしさを崇める。そこにあるのは「無私」の精神であり、もはや「信仰」である。

 「信仰者」としてのジョンは本作において実に遺憾なく神の僕となって働いている。大いなる光に包まれた信仰者の姿は神々しく、その心は平静そのものだし、その顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。あまりにも揺るぎない信仰心ゆえに、そこには邪悪なものが入り込む隙はない。また邪悪なものの力を借りて、自らを試したりする必要もない。そういった感じだろうか。

 凄まじい魂の遍歴の末に到達したのは、穏やかで優しい地平だった。苦悩も歓喜もすべては等しく、ありのままに提示される。他の誰にも絶対に真似のできない音楽。

 100%お勧めする。傑作。

個別リンク:http://www.mine-d.com/article/archives/2004/06/shadows_collide.html|