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ジャック・アイアンズ・インタヴュー(翻訳)
以下はジャック・アイアンズのファンサイト「Suluhiana」に掲載されたインタヴュー(原文英語)を、mine-Dが翻訳したものである。翻訳については常にそうだが、mine-D自身それほど英語力があるワケではないし、かなり意訳も施しているので、そのつもりで読んでいただけるとよい。原文は以下を参照の事。
| Suluhiana - Jack Irons Brazilian Fansite |Suluhiana Brasil:レコーディング作業を1999年から開始されたそうですが、無事アルバムが完成した感想は?
Jack Irons:そう、「Attention Dimension」のレコーディングは1999年の秋に始めたんだ。何かクリエイティヴな事をやる必要性を感じていたんだけど、バンドの一員としてツアーに出るような心の準備はできていなかった。僕はADAT(訳注:デジタル・オーディオ・マルチ・トラック・レコーダーの一種)と小さなミキシング・ボードを使ってレコーディングを始めた。何曲か仕上げた後、「これはフル・アルバムとして仕上げないと」と思ったんだ。それで、僕はさらにいくつかのレコーディング機材を買い求めて、毎日こつこつとレコーディングを進めていって、けっきょくほぼ5年間やってたんだ。自分自身を充電する必要があると感じた時以外はいっさい休息をとらなかったし、ずいぶん入れ込んでやっていたよ。
SB:ソロ・アルバムを作ることは、ドラムを始められた当初から考えておられましたか?
JI:ドラム・ミュージックのソロ作を作る事は1994年になって考えた。それは僕が初めて何曲かドラム・ミュージックをレコーディングした時だったんだけど、本当にやっていて楽しかった。実はね、僕はそれらのドラム・ミュージックをフリーの家で録音したんだ。彼は家の地下に小さなリハーサル/レコーディング・ルームを持っていたからね。しばしばそこで過ごしていた。フリーは4トラックのカセット・レコーダーを持っていたんだ。あの作業は実に楽しかった。
SB:「Attention Dimension」の作曲についてはいかがでしたか?
JI:「Attention Dimension」の曲は作曲されたというより、ジャムの中から自然にできあがってきたという方が正しいかな。僕は「Come Running」だけは、より「普通の」やり方で曲を作ったんだけど、それ以外の曲に関しては、まず僕がドラムを演奏して、それから、僕が「こう鳴ってほしい」というように他の楽器の音を足していくというやり方だった。
SB:私たちは「Suluhiana」をサイトのタイトルにつけたのですが、それは、あの曲が本当に美しく、ピースフルに私たちの耳に響いたからなんです。「Suluhiana」という言葉と曲は、あなたにとってどのような意味を持ちますか?
JI:「Suluhiana」は他の人との間に平和な関係を作りあげていく、という意味なんだ。実のところ、このタイトルとヴォーカルは、この曲に関していちばん最後に取りかかった作業のひとつなんだ。アラン・ジョハネス…僕の長年のパートナーだけど、彼がその言葉を歌った。彼は本当にいいアイディアを出してくれたよ。僕が彼に「君が歌えるもので、何かピースフルな意味合いの言葉を探してくれ」と頼んだら、彼は「Suluhiana」という言葉を見つけて、この曲を仕上げてしまった。僕にとってこの曲での最大の仕事はマリンバのソロだね。自分の思い通りのソロを演奏できるまで、何テイクも録ったよ。
SB:「Attention Dimension」の曲やアートワークには、水や海に関係する要素がはっきりと見て取れると思うのですが、あなたはこうした「海のテーマ」に沿って曲を書いたのですか?
JI:僕はずっと昔から海が好きで、イルカや鯨もそうなんだ。アクアっぽいテーマは自然に出てきた。僕のタトゥもアクアがテーマなんだよ。
SB:あなたのアートワークについてお聞きします。いつ頃からアートに興味を持つようになったのですか?
JI:レコーディングのミックスの段階が終わるのに合わせて、アートワークも仕上げていった。僕のPCでいくつかの写真を使って作り上げたんだ。色を変える事や、色んな(画像処理ソフトの)エフェクトをかけたりするのは、とても楽しかった。自分なりにがんばったと思うよ。
SB:RHCPや、イレブン、パール・ジャムなどの異なったタイプのバンドや、あるいはジョー・ストラマーやニール・ヤングなど、異なったタイプのアーティストとプレイする事は、あなたのソロ作に何らかの影響を与えましたか?
JI:「Attention Dimension」の制作に限って言えば、僕のすべての音楽的経験は形を変えながらも、常に存在していたよ。過去一緒にプレイできたすべてのミュージシャンたちに対して、共にプレイできた事を、僕はとても幸せに感じているんだ。僕の音楽的表現は、間違いなく、僕が自然にやってきた事がミックスされたものだ。そして、友達と音楽をプレイしてきた長年の経験、それに影響を受けている。ただ、友達と離れたりするのはとてもキツイ事だけどね。
SB:長い間のブランクを経て、フリーと再びレコーディングするのはいかがでしたか?
JI:フリーと僕とはずっと身近にいた。僕はいつだって彼とプレイするのが大好きだし。古くからの友達とプレイする時に、ブランクなんてほとんど問題にならなかった。特にフリー、アラン。この二人のミュージシャンは僕らが子供の頃から一緒にプレイしていたんだ。アラン、フリー、ヒレルと僕。そして、子供の頃からの演奏が、そのまま「ホワット・イズ・ディス」…僕らの初めての高校のバンド…になったんだ。
SB:パール・ジャムのメンバーとプレイする事はきっと本当にやりがいのある事だったろうと思います。どのようにして彼らを参加させたのですか?
JI:どのようにしてパール・ジャムのメンバーを呼んだかっていうと…単に頼んだんだ。かなり長い間彼らと会ってなかったし。それで、僕はツアー中の彼らの楽屋を訪ねたんだ。彼らに再び会えて、本当にすばらしかった。個人的に僕のソロ作に参加してもらえないだろうかと依頼をして、彼らは快く引き受けてくれて、「Attention Dimension」の制作上でも、とても素晴らしい仕事をしてくれたんだ。
SB:あなたは初のソロ・アルバムを作り上げました。次の展開はどうなんでしょう?ソロの活動を継続してやっていかれるつもりですか?
JI:僕は常に「音楽」の仕事をしている訳だけれど、正直次に何が来るのかってのは分からないなぁ。僕は今でもレコーディングの仕事に取り組んでいるし、それと何人かのミュージシャンにライヴができないかどうか打診しているところでもあるんだ。まあ、どうなるかはっきりするまではしばらく時間がかかるだろうけどね。でもとにかく、どういう形にせよ、音楽を作り出していく事に変わりはないと確信しているよ。
SB:最近のRHCPの音楽は聴きますか?
JI:うん。僕がバンドにいた時のものから今のものまで、RHCPのアルバムは全部持っているよ。彼らのやる音楽は全部好きだ。彼らがバンドとして成し遂げた事に対して、誇りに感じている。今のバンドの状態にたどり着くまで、決して容易な事ではなかったろうに。彼らは音楽を作り出す事に関して素晴らしい仕事をしてきたし、それは、僕たちがかつて共に成長し、「リアル」であり続けようとした…そのままの姿なんだよ。
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「世界最強」って何よ
2000年の来日公演くらいからだと思うが、RHCPの名前にやたら「世界最強」というキャッチフレイズがついて回りだした。雑誌記事然り、レコード会社の宣伝文句然りである。おおかた、やたら大げさな表現を連発するどこぞの低脳ライターが考え出したフレイズなのだろうが、この表現には最初からずっと抵抗を覚えていた。
いったいこのバンドをどういう尺度で測って「世界最強」だと言っているのか、その辺りがまったくいい加減だ。レコードの売り上げ枚数だろうか?確かに「Californication」は世界中で素晴らしいセールスを記録したが、もっと多くのレコードを売り上げるアーティスト、バンドはいる。ではライヴでの観客動員数だろうか?これも確かに以前と比べると大幅に増えたが、もっと多い観客を動員するアーティスト、バンドはいる。RHCPは東京ドームで公演を行うワケではない。同じ理由で知名度に於いてもそうだ。
ライヴアクトの激しさ?それを言うなら「母乳」ツアー、つまり初来日時のそれは確かに世界最強と言い得たかもしれない。あんなライヴをやるバンドは世界中探してもいなかったはずだ。しかし最近のライヴでは、それの善し悪しは別にしてライヴアクト自体はあの頃のような激しさはない。今頃になって「世界最強」とか言ってるんじゃねぇよ。ではバンドの演奏技術か?これも同様、彼らの技術自体はすばらしいが、同じくらいすばらしい演奏技術を誇るミュージシャンはいる。そもそも、個人的には「うまい/ヘタ」といった基準でバンドやアーティストを評価する事自体無意味だと思っている。自分が「いい」と思うか「悪い」と思うか。それだけだろう。
かように、「世界最強」というキャッチフレイズには、何の根拠もない。イージーにこの言葉を使う人間は、自らの思慮のなさを露呈しているだけだと知るべきだろう。ファナティックなファンやレコード会社の宣伝担当者ならいざ知らず、言葉の使い方に対して敏感であって当然なはずのプロのライターがこの言葉を使っていた場合、そのライターはまったくもって信用が置けないと言える。その程度で「プロ」と名乗る事に一片の恥ずかしさも覚えないのだろうか。
さて、ぼくはずっと以上のように考えていたのだが、アルバム「By The Way」が発表されてから、少し考え方が変わってきた。というのは、以上のような基準ではなく、また違った意味でRHCPが「世界最強」と言い得るかもしれないと思い始めたのだ。ぼくは「By The Way」レヴューの中で以下のように述べている。
仮に、スタイルや表面的な音楽性に左右されないような、曲自体の持つ強度、エネルギーを計る単位があってそれを「曲度」と呼ぶとすれば、本作に収められている曲はすべて曲度が高いと言えるし、それはこのアルバム自体の「アルバム度」が高い事を意味するし、さらには現在このバンドの「バンド度」が非常に高いという事がそうなさしめていると言えるのだ。
つまり、現在のこのバンドを「バンド度」という価値軸において測る場合、これほど「バンド度」の高いロックバンドは他にはないのではないか。そう思うのだ。非常に個性的でアクの強いメンバー同士が集まり、それぞれの才能、技術を最大限にまで引き出しながらぶつかり合う中で、その「化学反応」をクリエイティヴな音楽に結実させていく…世界にロックバンド数あれど、そうしたオーガニックな作用をここまで具現化し、実際にいいものを作り出しているバンドはレッド・ホット・チリ・ペッパーズ以外にないのではないだろうか。そう思う次第である。
個別リンク:http://www.mine-d.com/article/archives/2004/06/post_5.html|↑
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こんな音を聴いていた
以下の文章は、旧「mine-D's Fanatic World」のトップページに載せていたものである。2002年6月にmFWが独立、移転するのにあわせて、このコーナーに再録することにした。
ロックのCDを全部売ってしまった話は「はじめに」に書いたが、名刺代わりに1988年頃から、売り飛ばしてしまう1994年くらいまでの間に自分で買ったり、レンタルで借りたりして一度はその音楽を耳にしたことのあるアーティスト/バンド名(基本的に洋楽のみ)を思い出すままに列挙してみる。それこそCDに溝ができるんじゃないかというくらい(できねーよ)何度も聴いたアーティスト/バンドもいれば、一度聴いてそれっきり、というアーティスト/バンドもいる。それでもなんらかの形でmine-Dが興味を持って聴いてみようと思ったアーティスト/バンド達だ。ただし、忘れているものもかなりあると思う。並び順はむちゃくちゃ。Here we go!
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、フィッシュボーン、ジェーンズ・アディクション、スーサイダル・テンデンシーズ、バッド・ブレインズ、ザ・ビートルズ、レッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックス、クリーム、エリック・クラプトン、ヤードバーズ、バーズ、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、T−レックス、ドアーズ、ジャニス・ジョプリン、オーティス・レディング、サム&デイヴ、ファンカデリック、パーラメント、24-7スパイズ、インフェクシャス・グルーブズ、リビング・カラー、ORB、808ステイト、スライ・アンド・ザ・ファミリーストーン、ジーザス・ジョーンズ、ネッズ・アトミック・ダストビン、シュガーキューブス、ピクシーズ、ナパーム・デス、ブーツィー・コリンズ、ジョン・レノン、マッドハニー、ニルヴァーナ、スペースメン3、シンプリー・レッド、ディープ・パープル、ミーターズ、ジェームズ・ブラウン、ボ・ディドリー、ステッペン・ウルフ、ナイン・インチ・ネイルズ、ミニストリー、スティービー・ワンダー、ワンダー・スタッフ、マイ・ブラディ・バレンタイン、ストゥージズ、イギー・ポップ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ルー・リード、ソニック・ユース、レイプマン、ストーン・ローゼズ、ハッピー・マンデーズ、スマッシング・パンプキンズ、キュアー、ロリンズ・バンド、ビースティー・ボーイズ、パブリック・エナミー、NWA、ノーティー・バイ・ネイチャー、メタリカ、ポルノ・フォー・パイロス、アイス・キューブ、アイス−T、ジョージ・ハリスン、U2、リンボー・マニアックス、サイケファンカパス、マーヴィン・ゲイ、ダイナソーJr、プライマル・スクリーム、セックス・ピストルズ、キザイア・ジョーンズ、KLF、ディー・ライト、スキャター・ブレイン、トゥーモア・サーカス、シャーラタンズ、バットホール・サーファーズ、スタイル・カウンシル、プリンス、元プリンス、ファイア・ホース、セロニアス・モンスター、ゴッチャ!、レニー・クラヴィッツ、アンスラックス、スワンズ、ボス・ホッグ、シルバーフィッシュ、プッシーガロア、REM、アーバン・ダンス・スクウォッド、フェイス・ノー・モア、ミスター・バングル、ヘルメット、MC5、ザ・トロージャンズ、ジョン・ゾーン、ザ・ポップ・グループ。あと日本人のバンドだけど、ボアダムズ、SOB。自分の中ではかなり重要だったのに、名前を忘れてしまってるバンドも多いなあ。なんていったけ、あのバンド。思い出したらまた書こう。
CDで買ったものも、すべてテープに録音していた。ウォークマンで聴くためだ。就職して一年目は実家から通っていたので、通勤時間が片道1時間半くらいあった。往復でアルバム3,4枚は聴ける計算だ。とにかく外出するときは必ずウォークマンを携帯していて、ひたすら自分の世界にこもっていた。前日に、まるで次の日着ていく服に悩むように、持っていくテープのチョイスに迷ったりした。懐かしい。ウォークマン自体も人にあげてしまったし、通勤時間の短い上に子供を送り迎えしなければいけない今ではそういった楽しみは味わえないが、またなんらかの形で「ロックを携帯する」楽しみを再び味わえないかと考えている。
これを書いた後、中古の安いCD-Rドライヴと、これまた安くて故障ばっかりするCDウォークマンを購入したので、「ロックを携帯する」という楽しみを、ふたたび味わえるようになった。子供達を迎えに行くまでの時間、公園の隅のベンチに座り、酒をちびちび呷りながら持参したCDを聴く…これが最近の楽しみである。はた目に見ていると怪しくてしょうがないのだが、けっして変質者ではない。変質者はフラッカーズ(子供乗せ専用自転車)になど乗ってないのである。
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鼎談・教えて!ニューウェイヴ
mine-D:RHCPのニューアルバムは2002年6月に発表が予定されているワケなんですけど、 5月中旬現在までにネットに出回っている新曲…すなわち「Fortune Faded」 「Universally Speaking」「Don't Forget」の3曲ですが…を聴いた限りでは、これはもう明らかに今までのサウンドとは違ったものになるだろうな、 という気がしてるんですね。
要は80年代パンク、ニューウェイヴの影響が強くなってくるだろう、と。メンバーの口からそうしたバンドの名前が出てくる事も多いし、特にジョンはその辺から多大な影響を受けているらしい…。ぼくはその辺りの音は、 まったく弱いので…というか毛嫌いして聴いてなかった方なので、一度 詳しい人に聞いてみたいと思ったんです。で、周りを見回してみるとB坊さんとbun姐以外にぴったりな人がいなかった、という事で。
というワケで、今日は「Fragile Guitarist」のB坊さんと、「lovin' spoonful」 のbunbunさん…えーと、コンビ名は「B&b」でよかったんでしたっけ?…をゲストにお招きして、色々教えていただこうと思い立ったんです。
よろしくお願いしますねー。
bunbun:えーっと、もみじまんじゅう!こんな感じでいいですか?
この企画ってちょっと前からあったんだけどなかなか 実現しないんだなって思ってたんだけど その「B&b」っていうボケをずっと考えてたから遅れたんだろ? なあ?そうだろ?とうちゃん?
mine-D: そんな事ねーよっ(笑)!
bunbun:ま、私もそんなにNEW WAVE詳しくないんでB坊さんに色々教えて頂きたいなと思っています。
B坊:おっ好み焼きぃーーー!!
これでいいのですね。…って挨拶代わりに付き合ってみましたが、にぃさんボケまで80年代ネタで来るとは徹底してますね。
mine-D: (うっせーなー…)
B坊:前置きはともかくいきなり企画をぶち壊すようでナンですが、ニューウェーヴ、私も 決して詳しいとは言えないんでそこんとこヨロシク。お手柔らかにお願いしま〜す (はぁと)。
mine-D: いやまあ、あくまでRHCPとの絡みで聞きたいだけだしね。NWのすべてをレクチャーする必要もないし。
じゃ、さっそくなんだけど、お二人とも新曲は3曲とも聴いてるんだよね?ぶっちゃけた話、あれらの曲に「ニューウェイヴ」を感じます?
bunbun: 私は「don't forget」だけ聴いてません。 あとの2曲は聴いたけど、確かに「Fortune Faded」だっけ? あれのイントロなんかはニューウェイヴっぽいですね。
と言うかね、、、ニューウェイヴ詳しくないせいか、ニューロマンティック時代のバンドを想い出すんですけどね。(笑) あれ聴くと。
でも、もう1曲のほう「universally speaking」は そんなにニューウェイヴっぽくなくない? 少なくとも私がイメージするニューウェイヴとはちょっと違う。 ただ単にメロディのきれいな曲って感じです。「don't forget」は今日辺り聴いてみますんで。
B坊:私も「don't forget」は聴いていません。というより聴けないんです〜〜。マイパソコンこのところずっと音が聞けないんで。「Fortune Faded」「universally speaking」もかなり前に2回ずつくらい聴いたきり・・・。しかもしょぼしょぼな音 で。正直言って「universally speaking」は今じゃほとんど思い出せません。そんな 状態でのコメントなので、甚だ心許ないということをお断りしておきます。
で、「ニューウェーヴ」テイストは・・・・う〜ん、あえて言えばという程度ですけど、確かに感じましたね。淡々と刻まれるビートとかメロディアスな歌とか、フィジカル感の希薄さとかに。
でもそれより「Fortune Faded」の第一印象は、「Parallel univers」っぽいな、でした。
mine-D: ああ、コード進行とか、けっこう似てるのかな…。
おれが思ったのはまず「グルーヴしてない」って事なんですよね。チャドとフリーのリズム隊で、こんな単調なリズムパターン刻んでて飽きないのかな、というかもったいないというか…。
B坊: そう!「もったいない」はまさに同感!!私も自分のサイトでも書いたんですけど、彼らがいわゆるNW的な音をやるのは演奏に余裕がありすぎる感じがして気持ち良くないんですよ。NWの人達はいっぱいいっぱいでプレイしていたと思うんですけどね。
mine-D: うんうん、分かる気がする。「V2001」の音源には「Christine」(スージー・アンド・ザ・バンシーズのカヴァー)もあるんだけど、これも含めて今聴ける曲すべてにおいて全然グルーヴ感が感じられないんですよね。それはもろに今B坊さんが言った「フィジカル感の希薄さ」って事だと思うけど。もちろんこの3曲だけですべてを判断するのは早計だし、どんなアレンジでアルバムに収録されるかって事もあるんだけどね。
bunbun: 私はFortuneもUniversallyもMDに落として死ぬ程聴いたからタイトル見ただけでメロディがグルングルン頭ン中回っちゃうし、恐らく数少ない「レッチリNW化擁護派」なのでお二人の意見とはちょっと違うこと言うかもしれない。確かにUniversallyのリズムは単調だよね。あれはもしかして「休み」用なのかも(笑)たまにはチャドもフリーも休みたいのよってそれは違うかもしれないけど、ああいうのが彼ら自身には却って新鮮なのかもよ。
グルーブもさ、感じ方は人それぞれだと思うんだけどNWっぽいことやっていながらもやっぱレッチリなんだよなぁってあの2曲を聴いて私は思った。特にサビ。2曲ともサビがね、すごいレッチリ節なの。Fortune FadedがParallel universっぽいと言うのはすごい納得。UniversallyはOTHERSIDEの陽ヴァージョンだと私は思っていますが。
mine-D: なるほどなぁ。「ビートが単調」って面でいうとCALにもそういう曲はいっぱい入ってるでしょ。例えば表題曲(「Californication」)でも、リズム自体はファンクでもなんでもないんだけどチャドのドラムってロール入れたりとか細かい技使ってて妙に「グルーヴしてる」って感じだったんだよね。それが感じられないというか…。でも、確かにああいうリズムが彼らにとっては新鮮なのかもしれないよね。そうでなきゃわざわざそんな曲作ったりしないだろうし。
bunbun: universallyには兄貴の言うようなグルーヴ感はないかもね。曲調がね、そもそもグルーヴィーじゃないしね。(笑)でも、Fortuneのほうは、私は「強力」っていうイメージがまだあるなぁ。リズムが力強いなぁと思うんですけどねぇ。大地を感じさせるというか。どなたかが仰ってましたっけ? U2みたいって。「WAR」とか、あの辺のねU2みたいな感じしますよね、確かに。
B坊: グルーヴに関しては私も感じられなくて、それが期待外れの原因になっていたのは確かです。でも最初に述べたようになにせヒドイ音で聴いているので、そのへんのコメントは控えたいところ。たぶん同じ条件で3年前に「Cal」の曲を聴いていれば大差ない印象だっただろうという気がするし。
mine-D: ところでB坊さんはジョンのサードのレヴューの中で「デペッシュ・モード」の影響を挙げてたけど…えーと、おれホントに名前だけしか知らないんですけど、もし1枚、ジョンのサウンド指向に影響を与えてるという観点からアルバムなり曲なりを選ぶとしたら、どうなるでしょ?bun姐もデペッシュ・モードは聴いてると思うんで聞かせてもらいたいんですが。
B坊: デペッシュだと「MUSIC FOR THE MASSES」「BLACK CELEBRATION」、あとジョイ・ディヴィジョン全般でしょうか。1枚じゃないけど(笑)。
mine-D: えーと、ジョイ・ディヴィジョンってのはニュー・オーダーの前身バンドでよかったんだよね、確か。
bunbun: そうですよ。
mine-D: しかし全般って…(笑)。
B坊: オリジナルは2枚しかないから入り易いよん。どっちかを聴くなら2ndにしてラストアルバム「CLOSER」がオススメ。でさらに絞り込むなら、ラストナンバー「DECADES」なんか、ジョンへの影響度かなり高い1曲といえるのでは。
bunbun: デペの影響か、、、中期のデペでしょうね。初期はエレポップみたいな感じだったし。ずばり「BLAC CELEBRATION」!このアルバムに入ってるWorld Full Of Nothing て、ジョンがソロん時にカバーしてたりするでしょ?だから。
mine-D: おお。bun姐も「BLACK CELEBRATION」ですか。とりあえずそれ当たってみるかな。ジョンがカヴァーしてるのか。
bunbun: B坊ちゃんが挙げてた「MUSIC FOR THE MASSES」って当時あまり気に入らなくてね、、、それ以来聴いてないんだわさ。BLACK もズバリこれ!みたいに書いたけど、後から思うとそれもなんか違うような気がしたりして。(苦笑)曲で言ってもいいですか?See You、 Blasphemous Rumours、Shake That Disease、Stripped とかかな。って、ただ単に自分が好きな曲書いただけだわ..........初期〜中期、中期〜現在までって分かれてるシングルコンピが出てるんでそれでも聴いてみて下さい。(笑)
ところでジョイディビって言えば、こないだ鈴木さんのサイトで読んだんだけど(ある意味パクリです。スミマセン。涙)「24 HOUR PARTY PEOPLE」っていうイギリス映画知ってます?NMEのサイトでも最近よくこの名前見かけるんだけどね。この映画のサントラでNEW ORDERがMOBYとの共演でJOY spanISONのカバーをやってるんだけど、これのバックにビリー・コーガンとジョン・フルシアンテも参加してるそうです。映画自体はマンチェスターにあった「ハッシエンダ」というクラブを舞台にした映画だそうで、おマンチェ世代の私なんかもうハッシエンダって聞いただけで涙ちょちょ切れるね。B坊ちゃんも同じだと思うんだけど。(笑)って、もうみんなこの話題知ってた?(苦笑)
mine-D: いんや。初耳。
B坊: めっちゃそそられますな。でもいくらニューオーダー絡みとはいえビリーやジョンとおマンチェってイメージ繋がらないな。
mine-D: 確かに。でもビリー・コーガンも最初はヘヴィ・ロック路線だったけど「実はNW大好きでしたー」パターンだったんだよね。まあ、スマパンの場合は耽美的な雰囲気はもともとあったワケだけど…。ビリーとジョンって何か同じような感覚持ってるのかな。
bunbun: ギターのリフとかはすごいHR路線だよね、スマパンて。メタルとかもさぁ、様式美とか重んじるし、そういう点でNWとなんか繋がってるのかしら?
くどい位メランコリックなメロディとか、共通点あるのかもしれない。NWとは暗くて女々しくて孤独を愛する者が好む音楽。
B坊: おお〜〜、言い切りましたね。確かに「孤独を愛する」というか、好むと好まざるとに拘わらず孤独になっちゃうタイプが惹かれる音っていうかね。ジョンとビリーの共通点もそのあたりなんじゃないですか。あ、そーいやキュアやラヴロケに影響を受けたデイヴ・ナヴァロも「友達がいない子供だったよ」と言ってたな(笑)。
ところでさっき言った「CLOSER」ってアルバムには「TWENTY FOUR HOURS」って曲があるんだけど、その「24 HOUR PARTY PEOPLE」のジョンとビリーが参加してる曲ってコレなのかしら?
bunbun: 24 HOUR PARTY PEOPLEってよくわかんないけどマンデーズの曲のタイトルから取ってるみたいよ。で、N.OとMOBY+コーガン・フルシアンテはJOY spanISIONの「NEW DAWN FADES」だそうです。
mine-D: ああ。ハピマンね(見栄はって通ぶってみる)。
B坊: ああそうか。あったよねそんな曲。ジョイ・ディヴィジョンのカヴァーは「NEW DAWN FADES」か〜。ジョンの持ち歌じゃん(笑)。そりゃ参加せずにはいられまい。
bunbun: SIX. BY SEVENのアルバムのライナーに彼らの発言が載っていて「重要なのは継続ではなく革新なんだ」と書いてあったんだけど、この言葉今のレッチリにピッタリ!と思ったんだよなぁ。グルーブ感は果たして死んだのか?どうかは、これ言ったらこの企画お終いなんだけど、やっぱ出来上がりを聴かねぇとわっかんねぇな。でも今の彼らはやる気マンマンだろうと思うし、そういう中で出来がったものが駄作な訳がないと私は信じてるので以前のようなサウンドじゃなくてもOK尿。
mine-D: まあね。確かに革新していってくれるのはいいんだけど、なぜ80年代ミュージックなの?って気もするんだよなぁ。
bunbun: 80年代はいま一番ヒップだしね。マッチョな音楽はもう全然新しくないじゃないですか?出尽くされた感あるし。
B坊: 革新については「レッチリ内部での革新」の域を出ていないのが惜しまれるところかな…と。
なぜ80年代かという点については、意外なところでアンソニーがキーなんじゃないのかな。彼がいわゆる「軟弱」な音に理解を示すようになった為に、元々あったフリーやジョンの音楽的嗜好やフェミニンな部分が表面化したっていうか。
mine-D: なるほど。アンソニーがキーなぁ。いずれにせよ、どうもシングルカットされそうな「Don't Forget (Me?)」を聴いて思うんだけど、表層的な音楽スタイルの変化そのものより、もっと内的な、原初的な表現がそのまま現れた曲って感じもするんだよね。まあ、それはそれとしてだね、NWってのはキーになることは間違いないとは思う。
B坊: あ、そうそう、パソコンの御機嫌が突然良くなったのでさっき「Fortune…」と「Univer…」聴いたんですよ。それであらためて思ったけど「universally」はかなりエコバニ(中〜後期)っぽいね。
bunbun: そうなんだ?わたし、エコバニって聴いたこと無いんだよね....
B坊: 初めて聴いた時も感じたけど、アンソニーの歌い方はイアン・マッカロクを彷彿とさせるし、サウンド自体もエコバニがやった方がしっくりくるような。ドラムはエコバニというより思わず「♪Down down, you bring me down♪」(ローゼズね)と歌い出したくなりますが。いずれにしてもUK色濃厚な曲ですな。
この曲はアルバムでは、きっとすごく美しくアレンジされているに違いないわ〜〜。お気に入りになりそうな予感(笑)。
mine-D: ところでCALツアー以降って、ライヴで何曲かNWのカヴァーしてたと思うんだけど、どんなのがあったっけ?
B坊: ええっと・・・まず始めにも出たスージー&ザ・バンシーズの「Christine」。エコー&ザ・バニーメンの「Show of strength」…この曲はごく一部だけど「Blood sugar…」にくっついて毎回プレイされています。それからPILの「Religion II」。PILはBSSMツアーでも「Poptones」がカヴァーされていますね。
mine-D: え。PiLのカヴァーなんてやってたの?「Poptones」ってこないだ借りた「メタル・ボックス」に入ってるヤツじゃない。
B坊: あとジョンのソロでいうと既にbunbunちゃんから出ているデペッシュ・モードの「World full of nothing」、ジョイ・ディヴィジョンの「New dawe fades」・・・。今思いつくのはそのくらいかなぁ。NWとは言えないけど80年代ってことで言えばボウイの「Modern love」「Cina girl」とかもありますが。
bunbunちゃん補足あったらお願いします。
bunbun: ないです。(笑) 「Christine」しか思い浮かばなかったし(苦笑)あの、わたし今初めて知ったんですけど、レッチリのブートに入ってる「Religion」ていう曲はPILの「Religion・」という曲のカバーだったんですか?てっきり新曲だと思ってました!いやぁぁぁ勉強になるなぁぁ!!!
ご覧の通りNW、マジで詳しくないんで、なんで自分がこの会話の中に居るのか不思議でしょうがないです(笑)あ、余談なんですけど、CB誌で、レコードクレクターなホニャララっちゅうバンドが、NEW WAVEを代表する3枚のアルバムとしてDepecheの「New Life」とNOの「権力の美学」フランキーゴーズトゥハリウッドのRELAXが入ってるアルバムを挙げていました。余談。
B坊: 80's半ば以降のNWは私よりずっと詳しいと思うよ。私ニュー・オーダーは「Blue Monday」しか知らないし。
フランキーのRELAX、最近CMで使われてるよね〜〜。なんかとってもヘンな感じ。西城秀樹のYMCAが大ヒットした時と同じ違和感。…ってこれこそ余談ですね。
mine-D: ところで今B坊さんがあげてくれたようなバンドって、NWとは言えけっこうヴァラエティに富んでいると思うんだけど、やっぱりなにかしらRHCPメンバーの興味を引くような共通点ってあるのかな?ま、単にその時の気分で決めた…なんてのもあるかもしれないけど。
B坊: 共通点・・・フロントマンのアクが強いとか・・(笑)。
ヴァラエティに富んでいるって言うけど、そもそもNWの音楽性って多様なのよね。決まったリズムやスタイルがあるわけじゃないし。その中ではこれらのバンドはある程度共通のイメージがあるといえるかな。みんな暗いとかね。まあ乱暴に言ってしまえば「白っぽい音」なんじゃないかと・・・。元々ロックって黒人音楽がルーツじゃない。でもNWの多くのバンドの音ってとても白人的だよね。それはとりもなおさずオリジナリティということであって、ジョンやフリーが惹かれるのもそこなんじゃないでしょうか。やっぱね、ものを創る人にとってオリジナリティの存在は何より圧倒されるものだと思うよ〜〜。
ところで前から聞きたかったんだけどmine-DさんはなんでNWを毛嫌いしているわけ?ま多分白っぽさゆえだと思うけど。
mine-D: うーん…。おれ80年代は高校〜大学と、けっこうそういう音楽にはまりそうな年齢だったワケだけど、いわゆる「洋楽」ってわざわざ自分でレコード買ってきたりして聴こうとは思わなかったんだよね。それは何故かと言うと、「MTV」の影響が強いんじゃないかと思うワケで。いわゆるトップチャートに入ってくるような曲はテレビを通じて聴いてた(&見てた)ワケだけど、その手の曲にはほとんど魅力を感じなかったんだよね。だから洋楽を聴かなかった、と。
それが偶然88年にRHCPの音に出会って「これはっ!」と感じて。当時はどこにこんなに惹かれるのか分からなかったんだけど、今考えてみるとそれは「リズム=グルーヴ感」と、「ハードコア感」なんだよね。いわゆる80年代音楽の対極にある音なワケじゃない。UMPPに入ってる「Organic Anti-Beat Box Band」ってタイトルなんかモロにそうだと思うんだけど、エレクトロニックな「MTVミュージック」に欠けていたグルーヴ感、ハードエッヂな感覚を強烈に求めていたし、RHCP自身も当時はそうだったと思うんだよね。
洋楽ロックは昔に遡って色々吸収していったけど、60年代、70年代初期くらいまでの音しか受け付けなくて、80年代ってのはごっそり抜け落ちてしまっている。ま、さっきのフランキー・ゴーズ・トゥー・ハリウッドじゃないけど、その頃のヒット曲を聴くと単純に「懐かしいー」とは思うけど。
B坊: ふ〜ん。食わず嫌いともいえるわけですね。
MTVは確かに80年代の象徴だけど、のちのオルタナに影響を与えたものはほとんどMTVやヒットチャートとは無縁なところにあったわけだし、“「MTVミュージック」に欠けていたグルーヴ感、ハードエッヂな感覚”を充分備えたバンドもいっぱいいたんですから。実際、mine-Dさんも最近聴いたPILを気に入っていたでしょ?
mine-D: うん。あと…これはNWかどうかは分からないけど、「ザ・ポップグループ」とかね。
B坊: それで“RHCP自身も当時はそうだったと思う”については、彼らもMTVを席巻しているような音楽を敵視していたことは確かだけど、NWを“「リズム=グルーヴ感」と、「ハードコア感」”の無いものとは捉えていなかったはず。
要するに、「NW(及び80's)イコールMTV」では無い!と、ここんとこ強調したいのであります!!
mine-D: ふむふむ。
B坊: まあそんなこと言っても、前にも述べたようにNWは多様であって、新曲に感じられた影響は、その中でも“「リズム=グルーヴ感」と、「ハードコア感」”の希薄なタイプのそれでしたからね〜。mine-Dさんが馴染めないのは無理ないでしょう。
bunbun: 80年代は暗黒の時代とか言いますけど、私にとっての80年代はそんなにわるかなかったな。MTVものも聴いていたけど同時にNWも聴いていて、、、っつっか、たまにMTVでかかるNWモノに惹かれていって、その道を極めるようになって、、、私が惹かれたのはダークさ、かな。気味悪さっていうか。メロディのオリジナリティも。NWって妙な旋律多くないですか?出所が分かんないようなヘンテコなメロディっての?
例えばコレ、全国区のCMじゃないかもしれないけど以前加藤あいが出てた携帯のCMでバズコックスVoピートシェリーが昔出したソロ曲「テレフォンオペレーター」という曲が使われてたんだけど「オーッオオオオー」ってサビで歌うんですよ。ってわかんねぇよ、コレじゃ。(笑)
mine-D: あ、たぶん知ってるそれ。ケータイが高速道路すっとんで行く映像じゃないかな、関西じゃ。歌は同じだと思う。
bunbun: とにかくそれを久々に聴いて改めておかしなメロディだな〜って、これぞNW!と思ったんですよね。ストレンジでキッチュで、センチメンタルで、、、そこがNWの魅力。その辺をレッチリらしくアレンジしてくれてたらイイですのぉ
そうそう。いま兄貴のサイトの自己紹介をも一回見直してみたんだけどね。マイブラは微妙だけどキュアーはコレ、NWでしょ?どうなのよ? 自分が聴いてるモノの中にも意外とNWの影響を受けてるバンドってあるから、毛嫌いしないで一度聴いてみるといいと思いますよ、みなさんも。
また余談ですが、自己紹介んとこ、妻1人子供3人のとこに前は「今のところ」とか書いてあったと思うんだけどいつのまに削除したんすか?(笑)
mine-D: キュアー?書いてたっけ(笑)。あんまり印象残ってないんだよね。でもまあ、確かにまったくNWの影響を受けてないワケじゃないとは思うな。間接的にせよ、どこかで触れてるはずだよね。
あとな、いらん所ばかりチェックせんでよろしい(「今のところ」)!いーだろーがよ、別に(笑)。ある日いきなり「バツイチ」に変わってるやもしれんのだし。
bunbun: 気づいたらなくなってたんで、あ、円満に戻ったのかなと思っていたんだけど。また昔みたいなラブラブに。フフッ。
mine-D: ノーコメントだ(笑)。えーと、さっきbun姐が「ダークさ」って事を言ったけど、RHCPの最近の音を聴いてるとそれはよく分かるような気はするな。「The fights go on」ってコラムに書いたんだけど、「Californication」(シングル)に収録されてる「End of show」なんかもそうだし、新曲「Don't Forget (Me?)」もそうなんだけど、外向きじゃなく、あくまで内向きのエネルギーを感じるんだよね。そういうところが、音楽スタイルじゃなく、表現の一形態としての「ニューウェイヴ」と呼べるかもしれないな。そう考えると、彼らはもう音楽のスタイルはどうでもよくなっているんじゃないか、自分たちのやってる音楽がどんな風にカテゴライズされようと全然意に介してないんじゃないかって気がすごくするんだよね。そのラインで、もはや「ファンク」(音楽スタイルとしても、アティテュードとしても)にこだわる必要もなくなってきたと解釈できるかもしれない。ま、寂しいっちゃ寂しいけどね。
bunbun: あ、そう言えばミュージックマガジン誌は祝復活!ニューウェイヴっていう特集だったな〜私もそれ読んで秘かに勉強してみました。(苦笑)それ読んでても思うんだけどパンクとNWの境って結構ビミョウですね。
mine-D: MM誌、NW特集でしたか。確かにおれもパンクとNWの境ってよく分からない。その辺は曖昧なのかも?
B坊: パンクとNWは地続きです。リアルタイムで聴いてきた者としては両者の間に境界線はほとんど無くて、ごく自然にパンク〜NWに流れていったので、「パンクは好きだけどNWは嫌い」と言われるのがどーも納得いかないのよね。まぁ単にNWの捉え方のギャップなんでしょうが。
ところで今更ですが、PEPPERSって1stでアンディ・ギル起用してるじゃない。相性悪かったけど(笑)。デビュー時からすでにNWへのリスペクトを表明していたわけですね、実は。
mine-D: 「Gang Of Four」だっけ?アンディ・ギルのバンド。聴いたことないんだけど、「Gang Of Fourが好きだったからアンディ・ギルにプロデュース依頼した」って話してたな、アンソニーかフリーが。
B坊: Gang Of Four聴くべし!そして奔放且つ鋭利なカッティングの“かまいたちギター”で今までのNWに対する偏見を切り刻まれるがよいのじゃ〜〜!!
mine-D: ふーん、そんなにいいの?今度チェックしてみよっと。
いやしかし、いっぱいしゃべりましたな。そろそろシメにしたいんだけど、お二人、最後に何か言い残すことはないかね(笑)?
B坊: そろそろメシ? って、こんな時間にメシ喰ってちゃそりゃ腹も出るだろ・・・と思ったら、あ、シメですか。
mine-D: 「腹出る」って言うなー!
B坊: はいはい、メシじゃなくシメと。
いや〜、なんか私振り返ると支離滅裂なこと言っていたような気がするから、最後にまとめておこ。新曲にはいまいち感の拭えなかった私ではありますが、アルバム完成の暁には、NW&80'sテイストをミクスチャーの一要素として消化した「新たなレッチリサウンド」を呈示してくれることを期待しております。革新的な音を追求するというアティテュードとしての「NW的」であってくれますように。
mine-D: なるほど。革新的であってほしいよね、やっぱり。同じサウンドを繰り返してるだけじゃ、ファンは喜ぶかもしれないけど全然革新的とは言えないだろうし…。
えー…ま、今回は色々話が聞けてよかったです。すごく為になった。NWに対する考え方も、少し改められた感じがするし。B坊さん、bun姐、どうもありがとう。また機会があれば何かやりましょう。その時はよろしくねー。
じゃお二人、最後の一言を。
bunbun: よっ!兄貴中年太りっ腹!!!
mine-D: だから腹の話すんなっつってんだろーがっっっ!
B坊: メシ喰うな(ぼそっ・・・あくまでも80'sにこだわりつつ、さりげなく太りっ腹への対処法も含めてシメてみました)。
mine-D: INU…って、誰も知らんし、そんな町蔵の昔のバンドなんか!ええい、こうなりゃ腹の肉まで「爆裂都市」!
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Imagine(Hippies must die?)
ぼくは2001年の9月24日以来、トップページに「TERRORISM, REVENGE, WAR... I HATE THEM ALL」と記したバナーを置いて、アメリカ合衆国(及びそれに追随する各国)によるアフガン武力攻撃に反対する意思を表明してきた。いわば「ひとり反戦バナー」とでもいうべき企画で、超友達のmojoさんがバナーを貼ってくれた以外は誰もこの企画には乗ってこなかったのだが、そもそもぼく側に「ムーヴメント」として働きかけようという意志がなかった、あくまで「mine-D個人」として意志を表明したかっただけ、という性格があったので、それは別段どうという事はない。あくまで「一人」運動をしたかったのだ。
その後、かつての湾岸戦争がそうであったように、アフガン空爆問題も、これというセンセーショナルなニュースを欠いたまま、知らない間にトーンダウンしていくという様相を呈している。主要容疑者とされるビン・ラディン氏はいつまでたってもつかまらないし、アル・カイダ一派が一掃されたというニュースも聞かない。もちろん、世界中には数々の紛争があり、特にアメリカ対アラブの対立構造が違う形で具現化したような、いわゆる中東情勢…パレスチナ対イスラエル間の緊迫した情勢は、イスラエル・シャロン首相の強硬な姿勢、対して、相変わらず繰り返されるパレスティナ人の自爆テロ…などの影響もあって、2002年5月中旬現在和平への道はほぼ閉ざされてしまった状態と言っていい。根本的な問題は、ますます悪い方向に進んでいこうとしているように思える。
だがまあ、少なくともアフガン情勢について言えばあれを書いた9月24日のそれとは、かなり情勢が違ってきているし、あのバナーを貼り続ける事にかなり違和感も感じてきたので、この文章をアップするのに併せて、「TERRORISM, REVENGE, WAR... I HATE THEM ALL」のバナーは外すこととする。一応全文をここに再録しておく。
NO WAR
テロリズムによって、何千人もの罪のない人達を殺す事…それは卑劣な行為です。それは許されざる事です。一瞬にして愛する人を失った深い悲しみ、持っていきようのない気持ち…想像する事しかできませんが、遺族の方々には深い同情の念を抱きます。また、単なる事故などではなく、圧倒的な暴力、明白な悪意に満ちた行為で尊い命が失われた事が、さらに遺族の方々の悲しみ、憤りを増しているように感じられます。あのニュースを見たすべての人達と同じように、ぼくも今回の事件について、ショックを受け、深く悲しんでいます。
アメリカ合衆国は今回のテロ事件に対して、「報復措置」を行うと明言しています。首謀者とみなされる人物及び組織のみならず、それらを擁護しようとするすべての国に対して武力攻撃を行うという意志を表明しています。また、日本を含めた多くの国がアメリカのこうした姿勢を支持し、支援する事を決めています。しかし、ぼくは現在世界に蔓延しているこうした風潮に対して、強い懸念を抱いています。「報復措置」は、要するに「仕返し」「復讐」に過ぎません。今世界中の人々が、あの事件に対する憤り、怒りで興奮し、熱狂の中にいるように感じます。そうした状況下で物事を決定するのは危険過ぎる…そう思うのです。
仕返しとは、結局のところ仕返しで報われる性質のものでしかありません。そうした終わりのない応酬を経て、世界がたどりつく先には何が待っているのでしょう。ぼくにはそれが「破滅」だとしか思えません。もちろん、「強い国」アメリカとして、こうした事態に対し、強権的な姿勢であたらざるを得ないという事情も理解できます。このまま沈黙していればテロリズムに屈したという事になってしまうのかもしれません。
しかし、それでもあえて、ぼくは武力による報復措置に反対したいのです。もちろん、これは現実的な主張ではありません。「では、どうすればいいのか」という問いに対して、ぼくは明確な答えを持っていません。だけど、ぼくらは知っているはずです。憎しみはさらなる憎しみを呼び、果てしない連鎖反応によって増幅されていく事を。この憎悪のシステムによって、人類が長い間争いを繰り返してきた事、そしてそれは今も続いているのだという事を。憎しみの鎖を、どこかで断ち切らねばなりません。それは口で言うほど簡単な事ではありません。だけど、そうしなければ、同じ人類同士が殺し合うという愚行は、このまま永遠に繰り返されていく事だろうと思います。戦争に正義も悪もありません。それは無益な殺し合いに他ならないのです。
ぼくのこうした考えは、「理想主義に過ぎない」「単なる夢想だ」と非難されるかもしれません。しかし、こんな風に考えてるのはぼく一人ではありません。ぼくはテロリズムを憎みますが、復讐も戦争もイヤです。mine-Dは、アメリカ合衆国の武力による報復攻撃、及びそれを後押ししようとする、あらゆる意志に反対します。
2001年9月24日 mine-D
さて、最近リンクを張らせてもらった「活きの良いヒゲあります」(その後「時計仕掛けのグランジ」)のしまけんさんが「カート・コバーンの子供たちへ- オルタナティヴ直撃世代のビートルズ&90年代ロック論 -」というタイトルで文章を書いておられる。これは非常に興味深かった(mine-D後記:当該テクストは、「クロス・レビュウ」に収録されている)。ポイントは「90年代ロックの落とし子」というキーワードだ。この文章を書いたしまけんさんは1977年生まれ。ぼくは1965年生まれで、1991年当時ぼくは26歳で、しまけん氏は14歳だった。この91年というのは実に象徴的な年で、ぼくは「アメリカが13年遅れてパンクを理解した」年だと考えている。しまけん氏は件の文章で「既存のロックを内側から批判すること/ロックという大きな物語を崩壊させること」という言い方をしておられるが、これはまさに昔ジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)がイギリスにおいてやったことと相違ない。「現象としての」ニルヴァーナは「アメリカ人が初めて表現できた、自分たちなりのパンク」なのだと、ぼくは理解している。
そうしたアメリカン・ロックにおける大きな変化を、26歳で経験するのと、14歳で経験することの意味は大きく違うだろう。もちろん、ぼくとてイージーな「世代論」をもってこの違いに説明がつくとは思っていない。が、多感な十代にこうした洋楽ロックに興味を持ち、おそらくはスポンジが水を吸収するような勢いでそれを受容していく過程において「すでにニルヴァーナが出ていた」という状況の意味は大きかったろうと思う。ゆえに、「90年代ロックの落とし子」というキーワードはぼくにとっては新鮮だったし、しまけん氏がそうした立場から過去の「大きな物語」であるビートルズ=ジョン・レノン…「Imagine」の思想、あるいは「LOVE & PEACE」…に対して、はっきり「その物語は、すでに死んでいる」と言い渡す事の意味は納得できた。いやむしろそう「すべき」だと思った。
しかし「おれ自身はどうなんだ」と考えてみたとき、己の中途半端な在りようにとまどいを覚える。上に挙げた文章中で、ぼくはあからさまにジョン・レノン「Imagine」の歌詞に「乗っかって」いるし、実際あの時期ほど「Imagine」の思想が重要性を持つ時はないと感じたからこそ、ああした文章を書いたワケだ。が、ぼくはリアルタイムでジョン・レノンの活動に接して思い入れを感じていたワケではない。ジョン・レノンが殺された時、ぼくは15歳だった。ではぼくは「どちら側」の立場に立とうとしているのだろうか。そもそも、なぜぼくは「Imagine」の思想に惹かれたのだろうか。
いわゆる「LOVE & PEACE」といった考え方や平和主義、あるいは「ヒッピイズム」といっていいのか…そうした思想に同調する思いは、正直言ってある。忌野清志郎が「Covers」というアルバムで「Imagine」に日本語訳をつけて歌った事や、佐野元春が9月11日の事件直後に「The Light」という曲を作ってネットで配布した事、またRHCPが「The Righteous & The Wicked」で歌った内容…こうしたロックミュージシャンによる意思表明には、素直に感動してしまう。それは認める。ただし、こうした「幼稚な」考え方はある意味脆弱であり、現実主義的な立場からは攻撃される性質を、もともと備えている。友達のSilverboyはアメリカによる空爆を肯定するコラムを書き、掲示板やメールで議論したりした。しまけん氏の意見も、歳のいったぼくなんかより、はるかに「大人」のそれだと言えるかもしれない。「LOVE & PEACE」思想には、常に「子供っぽさ」という付録が付いて回るのだ。「大人の論理」を受け入れたくない「駄々っ子」のわがままだとも言える。それでも、ぼくは固執したい。子供っぽい自分に固執したい。そういう思いがある。
そうした思いの奥底には、ジョン・レノンという男への個人的な思い入れがある事は間違いないだろう。言うまでもないがヤツは昔から「LOVE&PEACE」を標榜していたワケではない。一例として、ビートルズ時代にヤツが書いた曲「Yer Blues」の歌詞を見てほしい。「Yes, I'm lonely. wanna die. Yes, I'm lonely. wanna die」…。「LOVE&PEACE」もへったくれもない。これはもはやパンクだ。こんなストーリーを読んだことがある。大昔「宝島」誌に女性ライターが書いていた話だったのだが、彼女の名前、何年の何月号に載った記事だったか…等は忘れてしまった。申し訳ない。だけど、話の大筋はあっていると思うので勘弁願いたい。曰く、ロンドンパンクが台頭してきた時、あるインタヴュアがジョン・レノンにこんな風に尋ねた。「ロンドンにおいて『パンク』というムーヴメントが興っているが、それについてどう思うか」と。ジョン・レノン答えて曰く「ぼくは昔からパンクだった」。後日そのインタヴュアが当のジョニー・ロットン(すでにジョン・ライドンだったのか)をつかまえてこの話を聞かせたところ、このオリジナルパンク野郎はこう言ったという。「…ああ。確かにヤツは、昔はパンクだったかもしれないぜ。だけど、今のヤツはどうなんだ?」と。
間違いなく、昔のジョン・レノンはパンクだったのだ。ロックミュージシャンが平和運動に関わる事の「カッコ悪さ」、あるいは「偽善性」を、いちばん認識していたのは他ならぬジョン・レノンその人だったと思う(「Revolution」の歌詞を見よ)。彼はファースト・ソロ・アルバムに収録されている「God」という曲で、聖書やタロット、キリスト、仏陀、ヨーガ、あるいはかつて自分が敬愛していたエルヴィス・プレスリーやボブ・ディランの名を連ね、それらのものすべてについて「ぼくは信じない」と言い切っている。最後には「ぼくはビートルズも信じない。ただぼく自身を信じる…ぼくとヨーコを。これが悟りだ」と述べている。ここに見てとれるのは、すべての概念を否定し尽くした後、最終的にそこに残った「自分自身」という存在(=One)、及び限りなく身近な「ライフサイズの」愛のみを自らの拠り所とする表現者ジョン・レノンとしてのアティテュードであり、こういうところにこそ、ぼくは強く惹かれてしまうのだ。
一方「Imagine」で歌われているのは国境や人種や宗教といった区別がすべて消え去った末の理想郷、すべての人がひとつ(=One)になれる世界で、「God」の思想との間には大きな溝が横たわっている。「Imagine」が収録されているのはセカンド・ソロアルバムであり、「God」と「Imagine」の間にどんな心的変化がヤツにあったのかは分からない。オノ・ヨーコに言いくるめられたのかもしれないし、平和運動家達に「利用」されたのかもしれない。あるいはその辺りの拘りなどまったくなく、単に気分で作っただけの曲だったのかもしれない。それはいい。ただ、「Imagine」をはじめ「Give Peace A Chance」「Power To The People」「Happy Christmas(War Is Over)」といった曲においては、あからさまに平和運動、市民運動的な傾向が見られ、とかくその面だけが強調されがちだが(ジョン・レノンという名前に、必ずといっていいほど「愛と平和の」という言葉がくっついてくる)、平和運動に入れあげていた時期は、ヤツのキャリアの中でそれほど長いとは言えないのだ、実際のところ。ただ、ある時期確実にヤツの頭の中が「LOVE&PEACE」でいっぱいになっていた事は事実だ。
ここでもう一度、ぼく自身の態度について考えてみたい。今挙げたような平和運動、市民運動とぼくのスタンスの違いは…。確実に言える事は、反戦バナーを貼り付ける事を通じて、ぼくは特に誰とも「共闘」したくなかった、少なくともそれを誰かに勧めたりはしたくなかったという事だ。後々ネットを調べて回って、実際にアメリカのアフガン武力攻撃に反対する運動を展開しているサイトも見つけたし、そうしたサイトでは本当に「反戦バナー」を作って各自のサイトに貼り付ける事を勧めていた。だけど、ぼくはこうした「数によるムーヴメント」には何の興味も湧かないし、むしろ嫌悪感をさえ覚える。限りなく個人主義なのだ、ぼくの立場は。それはおそらく、ぼくが人間とは本来的に孤独な存在で、どこまでいってもひとり(=One)でしかあり得ない事を、身を以て知ったからだろう。もてあました孤独感を曖昧な理想で埋め合わせる事だけは、絶対にしたくない。それなら己の孤独とどこまでも対峙する方を選ぶ。そういう意味から、「一人反戦バナー」という行為は、結果的にぼく自身の意思表明として、然るべき方法で然るべく表現された…そう理解している。
だが、それではさきほど「LOVE & PEACE」や平和主義に思い入れを感じると述べたことと矛盾するではないか…。そう言われると、自分でも正直説明がつかない。あるいは個人の意識の変革によって社会全体を変革していくという思想がある事も承知している。だが、人々が言うように、「自分が変われば世界も変わる」のかどうか…ぼく自身は、はなはだ心許ない。自分がどう変わろうと、世界はそのままで醜いようにも思う。ただ、自分の中に先ほど述べたような理想主義的な「子供っぽさ」があるのは事実だし、それ自体は大事にしたいと、思っているのだ。
どこまでも孤独な存在である、ぼく自身。その心の在りようとして、ベクトルが内側に内側に収束されていく、という面があるのは事実だ。しかし、なにかその内向きのベクトルが最大限まで達した時、一気に外側に放射されるような…まるで「クラインの壺」のように、内側が外側で、外側が内側になるような状態が現実化しないものか…。そんなイメージを漠然と考えてもいる。はなはだ観念的で、申し訳ないのだが。
いずれにせよ、また何か社会的/政治的な問題に関して意思表明したくなった時は、コラムに書いたり、バナーを作ったりしてどんどん関わっていきたいと思っている、あくまで「個人的」なやり方で。それが間違っていようが正しかろうが、自分の意志をきっちり表明できる自分だけのメディアを持っている、という今の状況に、ぼくはかなり満足している。今までの人生では、感じたことはすべて心の中に埋もれていくだけだったのだから。それからもうひとつ感じた事は、今回ジョン・レノンの思想、平和運動といった事柄を考えてみた事によって、「ロックと政治/社会問題」との関わり方について、あらためて考えさせられた。いつになるかは分からないが、前述のしまけん氏と、そういった事柄について議論してみても面白いのではないか。そう思った。
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The meaning of "Californication"
「極私的アルバムレヴュー」「Californication」の記述の中で、ぼくは「タイトルの『Californication』とは、単純に考えて『California』と『Mass-communication』をくっつけた造語だと見られる」と書いていて、それは最初この言葉を目にしたときから直感的にそう思っていたので特に気にも留めていなかったのだが、先日「活ヒゲ」経由で訪問していただいたTacumaruさんという方から、以下のような指摘をいただいた。
Californicationのレヴューを読みました。
文中の
タイトルの「Californication」とは、単純に考えて「California」と「Mass-communication」
をくっつけた造語だと見られる。いわば「カリフォルニア的マスコミュニケーション」とでも言えばいいのか。
が気になりました。
私の推測するところ、正確に言えば私のアメリカ留学時代のルームメイトの推測によれば、California と fornicate の造語ではないか、ということです。
fornicateを辞書で引くと「私通(密通)する」とあり、2つ目の意味として姦淫「不道徳な肉体関係を持つこと」があります。 おもに聖書のなかの言葉です。
ネイティブの間の俗語としてニュアンス的には「ヤッちまう」というとこでしょうか。頻繁に使われる言葉ではないようですが。
レッチリらしい単語選びという気がします。
あくまで推測にすぎません。
なんという事だ。この語句の解釈が違えば、あのレヴューや「キーワード」の「Hollywood,California」に記述した事にも支障を来す。すわ全面改訂か?これはいかんと、さっそくこのアルバムが発表された当時の雑誌インタヴューを当たろうとしたのだが、自慢じゃないがこの10年、ロック雑誌の類は買ったことがない。当時のインタヴューは立ち読みしてたのでなんとなく内容は覚えてるし、レヴューを書く際参考にもしたのだが、「Californication」の意味についてアンソニー・キーディスがどんな事を言っていたのか、思い出せないのだ。
「困ったときのB坊さん頼み」という感じで、何かとお世話になってるB坊さん(Fragile Guitarist)に連絡をとって、「当時のインタヴューを調べられたし」とお願いした。するときっちり調べた上にすばらしいコメントまで添えて返事をいただいたので、そのまま掲載させていただく。
さて「Californication」。
リリース時には嫌と言うほど意味を尋ねられたと思われますが、アンソニーは意外に もいつも同じ答えを返しています。彼やミック・ジャガーのような切れ者カリスマフロントマンタイプは、けっこうその時々で答えを変えたり煙に巻いたりするものですが、これに関してはほぼ一貫した回答をしているので、言葉通りに受け取って間違いないのではないでしょうか。
では以下にアンソニーのインタビューを引用します。参考にして下さい。
CROSS BEAT
「え〜、これは新語でありまして…。まず第一には、それぞれが勝手に好きなよう に意味づければいいよ。どうせ新語なんだから、みんな好き勝手に定義づければいいんじゃない?俺にとって“カリフォルニケイション”ってのは、カリフォルニアのカ ルチャーが世界に対して良くも悪くもいかに強力に意味深く影響を与えているかってことのプロセスなんだ。それは否定しようのない影響で、世界中どこの国に行っても、 俺の街が、そして俺の州がどれだけ人々に影響を与えているかを実感するんだよ。それがいいこともあれば悪いこともあるんだけど、いずれにせよそいつは強力なのさ。 だからそういうイメージとかアイデアを書き始めて…実際のところ、この歌は“死んでる”ことを歌ってるんだ。」
Rockin' On
「まぁ自分で作った造語だからみんなが勝手に意味を与えてくれればそれでいいんだけど、とりあえず俺にとっては、カリフォルニアで生まれたカルチャー、ライフスタイル、アートが世界にどう作用するかっていう意味の言葉なんだ。映画、音楽、スタイル、化粧品のトレンドとなんでもいいものも悪いものも全部ひっくるめた上でのね。実際世界各地に相当の影響力を及ぼしている印象はあるからね。つまりものすご い奥地や僻地でも、カリフォルニアがどういう土地なのかっていうイメージが浸透し ているから、俺はそういう意味合いで使っているんだけど、この言葉を違った意味で どんどん解釈してもらってもそれは構わないことなんだ。」
「この曲でカートに触れているのはカートが死んだからじゃなくて、カートの精神、 カートの人生、その作用を問題にしているとかね。あるいは今じゃ草場の陰にいるカートに挨拶を交わすようなものでもあるんだ。そしてあれだけ才能の傑出した人間も、 やはりカリフォルニアからの影響は免れ得ないって話しなんだよ。そういう奇妙で薄気味悪いもんがこの西海岸にはあるってことなんだ。」
ちなみに以下は94年のインタビュー
「去年の初め、俺はボルネオとインドネシアに行ったんだ。どっちも今まで行ったことのない場所だった。ジャカルタで水上マーケットに行ったら、ありとあらゆるスパイスや布地なんかを売っている中に、印刷も粗悪なメタリカとガンズ&ローゼズと俺達のTシャツがあった。ああいう状況のああいう文化圏の中にあって自分のグループの名前を目にするというのはホント驚きだったよ。ボロボロのペッパーズTシャツを着たおっさんが地べたに寝そべって、パイプでアヘン吸ってんだぜ。そのTシャツを売っている男ですら、明らかに俺が誰だかさっぱりわかってないんだから、余計に奇妙だよな。」
アンソニーはこの体験が余程強烈に印象に残ったとみえますね。
私はこれの印象があったからか、「Californication」と聞いた時、かなり単純に「California」プラス「location」と思いました。世界のいろいろな場所のカリフォルニア化という意味で。
歌詞を見た後は、羅列されている「〜tion」という言葉すべての意味を含んでいるんだなと解釈しておりますが。
ROのインタビューを見るとmine-Dさんの「Mass-communication」という解釈はまさにどんピシャリですよね。
インタビューを読む限りでは判断しづらいところですが、「fornication」をアンソニーが意識したかどうかというと「否」ではないかという気がします。でも独自の文化を持つ国や地域が西海岸文化に毒されて、簡単に異文化を受け入れている様は「姦淫」と取れなくもないわけだし、すごく興味深い指摘ですよね。あと「fornication」にはやはり聖書関連で「偶像崇拝」という意味もあるんですね。これまた興味深い!
自分の作った言葉でこんな風に世界中で多様な解釈をされていることは、まさにアンソニーの望むところでしょうね〜〜。
もうひとつ面白いことが。exciteの英文翻訳サービスを使うと「Californication」って何故か「景観破壊」と訳されるんですよ。使えない翻訳ツールのくせしていいとこ突いてるでしょ(笑)。
…いやその、なんというか要するにどういう意味にとるかは受け手側の自由だ、という事が分かったし、B坊さんのコメントを読んだ後で、ぼくから付け加える事は特にない。十分だと思う。ただ、フリーが日本についてよく「西洋のイミテーションだ」ときつい事を言うことや、あと「Californication」と、時節柄特に取り沙汰される事が多い「グローバリズム」との類似性、関連性についても思い及んだ事を述べておく。それとCBのインタヴュー中「実際のところ、この歌は“死んでる”ことを歌ってるんだ」と語っている点には、かなり引っかかった。引き続き考えてみたい。
Tacumaruさん、B坊さんのお二方には心からお礼を申し上げる。本当にありがとう。
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(後記)
その後、ある方からメールで「Californication」=「景観破壊」との指摘をいただいた。上でB坊さんがおっしゃっておられるようにexciteの翻訳サーヴィスを使うとそう訳されるとの事だった。それがきっかけとなって調べてみたのだが、なんとmine-Dの持っている辞書にしっかりその単語が掲載されていたのだ。
研究社「リーダーズ英和辞典」第1版から引用すると、「Californicate,Californiate vt. 《都市化によって》〔州など〕の景観をそこなう。Californication n.」とある。灯台もと暗しとはこの事か。アンソニーの「造語」発言を先に見ていたため、まさか載っているとは思わなかったのだ。そう考えると、アンソニー自身もこの言葉を知らなかったのか、あるいは知っていてわざと新語・造語発言をしていたかのどちらか、という事になる。うーむ…。謎だ。どなたか情報をお持ちの方は、ぜひお寄せいただきたい。
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Anybody worried about...
「Red Hot Chili Peppers The Forum」という掲示板がある。かつてはオフィシャルサイトに掲示板があったのだが、荒れたかどうだかで、知らない間に消えてしまっていた。このフォーラムは型式がかつてのオフィシャルBBSと近いし、アクセス数も多いので、ぼくはここを発見して以来、質問がある時や情報を得たい時などちょくちょく覗くようにしている。ここに先日、「ANYBODY worried about the new album?!?!?!」というタイトルのスレッドが立った。ネットにMP3の形でアップされている昨年のライヴで発表された新曲…これらを聴いて、2002年6月にリリースが予定されている新作があまり気に入らないかもしれない。心配だ…そんな意見だったのだが、これがかなりの反響を呼び、レスも多くついた。ぼく自身気になっていたところでもあるので、非常に興味深かった。よって、以下に訳文を紹介してみたいと思う。ちなみに、むろん転載について誰にも許可はとってないし、日本語訳についてもかなり意訳なので、そのつもりで読んでいただきたい。さらに言えば全体をそのまま訳したのではなく、特定のテーマに沿った発言だけを抜き出して書き出してある。もっと言えば途中までしか訳してない。しかしまあ、興味深い議論である事に変わりはないので、その辺はお許しいただきたい。
ニューアルバムが心配な人…? 投稿者:cali4nication7
こんちは。気を悪くしないで聞いてほしいんですが、RHCPの事、すごく好きなんですけど、新しいアルバムはあんまり…昔の作品ほど好きになれないんじゃないかって、ちょい心配してるんです。CALは全部の曲が大好きで、CALを超えるのはかなり難しいと思うんですけど。「Universally Speaking」と「Fortune Faded」を聴きました。どちらもいいと思いましたが、ちょっと音的に弱い感じも受けました(たぶんライヴ録音だからだと思うんですが)。
誰か同じように感じている人いますか?あ、誤解しないでください。もちろん新作がもうすぐ出る事はすごくうれしいと思っています。
新作 投稿者:LenchantN
おれはすごーく心配だ…。
Re:新作 投稿者:PositiveMentalOctopus
ああ、あんまりいい出来じゃないんじゃないかって心配だけど、RHCP信じてるし…。
たくさん 投稿者:cali4nication7
こんなにたくさんの人に同意してもらえるとは思ってみませんでした。えっと、今までのアルバムは全部好きで、その中のいくつかは他のよりもっと好きなので、きっとRHCPはなにかすごい事やってくれるんだろうと思ってます。
Re:たくさん 投稿者:anti myth rhythm rock shocker
CALと同じようなヤツは、もういいな。
re 投稿者:subway to venus
みんな新作についてそんなに心配することないんじゃないですか?RHCPはいつもレコーディングをしてアルバムを出すたびに、彼ら自身でさえ予想していなかった領域にまで踏み込んでいった訳でしょうから。でも、彼らが自分たちの好きな音楽(やそうじゃない音楽)を聴いて、彼らの音楽への新しい「素材」を仕入れ、レコーディングに戻った時点で曲が気に入らなければ少し変えたり…とかできる訳ですしね。RHCPは世界で最高のバンドです。心配する事なんかありません。
えーと… 投稿者:jebral
おれ自身はあんまり心配してない。「Universally Speaking」も「Fortune Faded」も聴いたけど、気に入ったよ。正直「Universally Speaking」の方が好きかな(みんなこの曲をあまり真剣に取り上げてないみたいなんだけど、なぜ?)。とにかく、おれはみんなが次のアルバムを聴いてがっかりする事を確信してるね。なぜかって、これは間違いなく…「違う」作品になるからだ。理由のひとつとしてはもちろんジョンの復帰があるけど、今回は「完全な形での」復帰だという事が重要なんだ。彼の音楽的趣向(80年代ニューウェイヴ)が次作の音楽性において相当重要な役割を果たすだろうって事は、まず間違いないだろうからね。もし君がBSSMやCALIみたいなアルバムを期待して「いない」のなら、きっと満足するだろう。
心配な点 投稿者:Jason1978
こんな風に考えてみよう。BSSMは圧巻だし、多くの人(もちろんおれ自身も含まれる訳だが)の意見によると、RHCPのベストアルバムだと言えるし、あれを超えるのは難しいだろう。みんなはBSSMみたいなアルバムを作ってほしいと思ってるみたいだけど、RHCPはBSSMを超えるためだけに作品をこしらえる事はしないだろう。ファーストも含めて、彼らの作品はみんなそれぞれ素晴らしいし、次の作品も素晴らしいものになることは間違いない。ただ、いくつかの曲はあるファン達にとって、彼ら自身が成長しなければついていけないものになるかもしれないけど。
Re:ニューアルバムが心配な人…? 投稿者:PurpleZia
心配?まさか!間違いなく素晴らしいものになるって。
あのさ 投稿者:Zoebean
おれが言える事はさ、あんまり心配はしてないって事。これからもRHCPのファンであり続けるだろうしさ。何があっても。
はっきり言うと心配してる 投稿者:PiLGRiM0RtAL
新しい作品には満足するだろう…ただ、それはあくまでRHCPが「ポップバンドになったりしない限りは」だ。おれら「ロック大好き」野郎としてはな。
忘れてない? 投稿者:Jason1978
過去多くのファンがRHCPが「ソフトになった」事を理由に彼らを見限ったよね?今のところ、新作からの3曲は多くのファンがRHCPに対して期待しているものとは違った訳だ。…個人的にはこの3曲は気に入ってる(「Universally Speaking」がいちばん好き)。でも、彼らは過去において、もっとメロウでポップな曲をやってきたじゃない。新作が今までのとは違うとぼくが考える、もうひとつの理由は…ジョンがあるインタヴューで言ってたんだけど、次作は彼らが今までやってきたどんな音楽的傾向とも違うものになる、ファンク的要素は少なくなるだろう、と。CALはまだファンキーな曲が数曲入ってたけどかなりメロウな作品だったけど、次の作品は今まででもっともジョンの影響が多大に現れたものになるだろうという事。ライヴで演奏された3曲は彼らが意識的にチョイスしたもので、ファンにも聴いてほしいと思ってる曲であり、次のアルバムがどんな音になるかを掴んでもらうためのものなんじゃないかな。CALが出る前にも、彼らは「Parallel Universe」、「Emit Remmus」、「Scar Tissue」をやって、それと公開されなかったけど「Bunker Hill」という曲も演奏してるでしょ?こうした曲はソフトでメロウだったし、大方が期待したような典型的RHCPサウンドじゃなかったじゃない。同じ事なんだよ、きっと。もし君が1枚目から5枚目(BSSM)までのサウンドを期待してるんなら、次のアルバムが出た時には落胆する事だろう。CALの路線をさらに踏襲した作品になるだろうからね。メロウでミドルテンポの曲が多くなり、ハードさやファンキーさは減るだろう。
おれ達は、かつて勇猛だったRHCP没落の目撃者となるだろう 投稿者:PiLGRiM0RtAL
とーってもポップな、最近のライヴでお披露目された3曲を聴いて…。おれ達「ファンク大好き野郎」共のできる事といえば、RHCPという車の創造的エンジンの中で、ファンカデリック印のガソリンを使い果たしちまっただけなんだ、とひたすら思いこむ事くらいだろうな。だが現実はもっと冷酷だ。おれ達がそれを受け入れようと入れまいと、RHCPは「確実にポップバンドになっちまった」って事だ。おれ達スラッシュやらファンクやらパンクやらが好きで好きでしょうがない人間を放ってな。
セールスの面で言っても、あの3曲を聴いた限りでは大したものは期待できないだろう。RHCPは今非常に危うい立場にいる。答えが分かっているのに、なぜわざわざ実験的な事をやろうとする?おれ達が欲しいのはファンクだ!ジャンクじゃない。
…である限り 投稿者:minedspice
14年以上ファンをやってきたけど、彼らが何をやろうとも、どんな音楽をやろうとも、RHCPが「ファンキー」である限り、ぼくは彼らを認めてきました。
でも次のアルバムで、もはや彼らが「ファンキー」でなくなってたら…。あまり考えたくありません。実際聴いてから判断しようと思ってます。
Re: 投稿者:Mothers Milk 23
次作で、彼らが本来のスタイルを捨ててしまい、そこから大きく離れてしまうんじゃないかと心配です。彼らが長年貫いてきた独特のスタイルは、とても素晴らしかったから。彼らは永遠に彼ら自身の音楽を進化させていこうとする、という事は理解しています。でも、彼らにはありきたりなロックアルバムは作ってほしくないのです。思い出してください、彼らのファンクとパンクをヘヴィに融合させた音楽性と、抽象的な歌詞や陽気な歌詞…そういった姿勢を貫いてきたからこそ、彼らは今のポジションに到達することができたのです(そしてそれこそが、彼らを他の凡百のバンドと分け隔てていた理由である事は言うまでもありません)。彼らは昨今のいわゆる「ミクスチャー」ロックのパイオニアであり、なぜそのスタイルを捨ててしまい、シリアス路線に向かわなければならないのか、理解に苦しみます。進化させるなら、ファンク面で進化させてもいいのでは?ファンクミュージックに関して、アイディアが枯渇してしまったのか…?それは分かりません。ただ彼らが彼らのルーツを完全には捨ててくれないよう、望み、祈るだけです。頼みますよ、あんた達そんな枯れちゃったりシリアスになったりするほど、まだ歳喰っちゃいないでしょうに!
いい音楽はスタイルに拘らない、そこに制限などあるべきではない 投稿者:California King
次のアルバムは、RHCPの音楽を本当に愛するファンと、単に特定の音楽に対するファンとを分け隔てるものになると思う。「RHCPが『ファンキー』である限り、ぼくは彼らを認めてきました」だの、「彼らが本来のスタイルを捨ててしまい、そこから大きく離れてしまうんじゃないかと心配です」だの言う人達の事が信じられない。なんだってまた彼らを、偏狭な「ファンク・バンド」という枠に押し込めようとするんだ?あんた達は単に特定の音楽スタイルのファンであって、本当のファンではないのだ。いい音楽はどんなスタイルをとろうとも、いい音楽であることには変わりない。ファンキーであってもなくても、ハードであってもなくても、だ。RHCPは偉大なミュージシャンであり、彼ら自身を単なるファンク・バンドの枠に規定するような事はしない。実際彼らはそれを証明してきたじゃないか。ぼくは次作がああいう方向性に行く事を喜ばしく思うし、それを聴くことによって、自分たちの偏狭な音楽的趣味の範囲内でしかRHCPを好きになろうとしないファンはファンをやめてくれればいいと、本当に思う。素晴らしい音楽は色んなスタイルをとる。思うに、次作に不安を述べ立てる人はその事を理解できていないか、理解したくないんだろうと思う。
...... 投稿者:jebral
「RHCPは偉大なミュージシャンであり、彼ら自身を単なるファンク・バンドの枠に規定するような事はしない。実際彼らはそれを証明してきたじゃないか。ぼくは次作がああいう方向性に行く事を喜ばしく思うし、それを聴くことによって、自分たちの偏狭な音楽的趣味の範囲内でしかRHCPを好きになろうとしないファンはファンをやめてくれればいいと、本当に思う。素晴らしい音楽は色んなスタイルをとる。思うに、次作に不安を述べ立てる人はその事を理解できていないか、理解したくないんだろうと思う。」
(スタンディング・オベイション)
そうだ、その通りだ!
>California King 投稿者:minedspice
ぼくが「ファンキー」というのは、単に音楽的スタイルの事を指しているのではありません。それはアティテュードなのです。たとえ彼らがバラードを演奏している時でも、彼らがその精神や、心持ちや、生き方において「ファンキー」であるなら、ぼくとしてはOKだったのです。
でも、あなたの言うようにぼくの音楽的趣味趣向のせいで次作が心配になっているのは間違いないところだと思います。実際、80年代ニューウェイヴはあまり好きじゃないので…。あくまでぼくの傾向です。音楽性の変遷自体はバンドにとって悪いことではない、それは分かっています。ただ、それでもぼくは彼らに永遠に「ファンキー」でいてほしいと思うのです、心から。
「心配」についてもう少し 投稿者:Miki1176
(前略)忘れてならないのは、メロディアスだけど、かなり「ドラマティック」な曲のこと。それは「軽くて陽気な」曲ではない。「Fortune Faded」は重くはないけど、「ポップ」とは言えないよね。「Under The Bridge」はメロディアスでドラマティックな曲であればこそ、名曲だった訳だし。あと「ファンキー」という点に関して言えば、もう忘れた方がいいと思う。ファンキーな時代はもう終わったんだ。それはBSSMがリリースされた時点で終わっていた。ぼくにすれば「ファンキーな」RHCP=主にヒレルのRHCPというイメージ。これからも1曲か2曲はファンキーな曲が収録されるだろうけど、メンバー自身もうファンクは聴いてないしね。少なくともジョンはまったく。彼は明らかにファンク以外の方向に行こうとしているし、今や彼はバンドの中でもっとも影響力のあるメンバーだ。でもまあ、ぼくは次作については心配してない。新曲も、聴いた範囲では素晴らしいし(少なくとも今出回ってる他バンドの曲よりはずっといい)。
Re: >California King 投稿者:miss red hotty
私は、新作について変な期待感は持っていません。
「Fortune Faded」「Universally Speaking」を聴きましたが、どちらも素晴らしかったです。彼らの以前の曲とはかなり違っていて…。RHCPというバンドが、人間として、ミュージシャンとしてここまで成長してきた事に感銘を受けました。彼らは今とても充実しているんだろうと思います。
次のアルバムが今までのものと比べるとドラスティックに変わるだろうという事は理解していて、その事にとてもワクワクしています。彼らが同じようなサウンドのアルバムを次々にリリースしたとしたら、どんなにつまらない事でしょう。
例えばBSSは素晴らしい作品ですが、たとえRHCPが同じくらいのクオリティを持つアルバムを次々に出せたとしても、音楽性が同じなら、当初保っていた訴求力、ユニークさ、オリジナリティ…そういったものは次第に色あせていくでしょう。
音楽は人生の一部です。どんなミュージシャン/バンドに対してでも、それまでの作品と同じような作品を期待することはアンフェアで、つまらない事だと思います。
私自身ミュージシャンとして、音楽を作る事は己の魂そのものを作品にそそぎ込む事だと理解しています。私が今作っているものは、私が2年前に作ったものとはまるで違います。もしそれが同じようなものなら、それは私が人間として変化していない事を意味するのです。人生とは変化そのもの、変化を受け入れる事そのものですよね。
心の準備はできています。私は次作をとても気に入る事をすでに知っています。なぜなら、私は「RHCPがRHCPであるが故に」彼らを愛しているからです!
ありがとう。
新曲 投稿者:minedspice
>miss red hotty
「私は次作をとても気に入る事をすでに知っています。なぜなら、私は『RHCPがRHCPであるが故に』彼らを愛しているからです!」…まさに!その通りだと思います。単にRHCPがファンクをやっているから好きになった訳ではなく、彼らにしかできないすばらしい音楽を作り続けてきたからこそ、好きになった訳ですから。どんな音楽をやろうとも、RHCPはRHCPですよね。彼らは素晴らしく、ワン・アンド・オンリーなのです。
なぜぼくがそうファンクに拘るのかというと、RHCPは長い間、ファンクにとても深くコミットしてきたからだと思うのです。しばしばP-Funkに対するリスペクトを表明してきましたし、彼らは「ファンク」を、音楽的にも、精神的にもすばらしいやり方で体現してきたバンドだったのです。「ファンキーなRHCP」を好きな事には変わりありませんが、「ただのRHCP」も好きな事は間違いありません。
いかがだろうか。実際はまだ議論が続くのだが、ぼくが興味のあるテーマについては、一応この辺りで一区切りついたという感じなので、ここで終わらせてほしい。普段は「いちばん○○な曲は…?」とか「アンソニーと一晩過ごせたら…」だの、どうでもいいような話題が散見されるこのフォーラムなのだが、真剣な議論になった時は様々な意見が出てきて、エキサイティングなやりとりが展開されるので、面白い。当然これを読んで「おれにも/私にも言わせてくれ!」と思った人は多くいるだろうから、掲示板にでも書き込んでいただけるとありがたい。それにしても、ぼく個人としては「minedspice」さんの意見に同意するところが多かった。他人とは思えない(当たり前だっつーの)。
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意志
あまり多くはないが、掲示板に書き込みをしてもらうことがある。サイトを運営している人なら分かるだろうが、どんなに短いメッセージであっても、自分の掲示板に書き込みしてもらうことは本当にうれしいものだ。ぼくなどはケータイで自分の掲示板を見られるようにしていて、日に最低でも3回はチェックしている。3日も続けて誰からも書き込みがないと非常に悲観的になり、「手首のひとつでも切ってやるか」という気になってくるのでこれを読んだ方どうかひとつよろしくお願いします。…いや、ま、それはいいとして(真に受けてはいけません)、書き込んでもらったメッセージに触発されて文章を書きたくなることも多い。以下の文章は、いつも書き込みしてくれているヴューワーの「アルさん」が以前残してくれたものだ。すごく感じるものがあったのでさっそくレスしようと思ったのだが、掲示板の性格上記事がどんどん流れていって古いものは過去に追いやられてしまいもったいない。そこでこうして再掲させてもらった上で、ぼく自身のコメントも併せて載せておいた。ぼくやアルさんのような比較的「古い」ファンが、最近のRHCPをどんな風にとらえているのか、何を期待しているのか、その辺が少しわかってもらえるのではないかと思う。
モヒカンになってからのブート・ビデオを、やっと見つけて観た。
「Rolling Rock Fes,La Trobe,PA Aug 5,2000」というタイトルのもの。
正直な感想。演奏は去年の来日前後のほうが良い。
ハッキリ言って生ぬるい。アレンジも若干替えてあるけど、
そんなにイイ演奏じゃない。
アンソニーは足の調子がイマイチなのか?あの軽快なステップも見られない。
そして UNDER THE BRIDGEも BLOOD SUGAR SEX MAGIKも演ってない。
でも客はノリノリ。去年の BIG DAY OUT と同様だ。
でも、CALIFORNICATION でダイブしてる奴の気が知れない。
俺が観てて感じた事を並べてみましたが、コレが悪かったかと言うと、
矛盾してるようだけど、そうではない。かなり気に入ったのです。
もちろん、このビデオ1本だけでは判断できないケド、
ここに映っていたのは CALIFORNICATION さえ振り切ろうとするかのような、
「レッチリの意志」だった。
CALIFORNICATION は現在の(と言っても1年以上も前だけど)
等身大のレッチリの姿だった。でも、俺は、とまどいを覚えた。
あのアルバムを素直に受け入れる事ができたレッチリ・ファンっているんだろうか?
でも、あのアルバムは評価された。もちろんレッチリだから。ではない。
よく言われてたけど、まさに「新生レッチリ」のアルバムだったし、
メロディ、演奏、歌、って基本のトコを全面に出した、
シッカリと作られたたアルバムだったからだろうか。
俺はコレ受け入れるのに、けっこう時間がかかった。
で、モヒカンにしたレッチリを観ていると、
「CALIFORNICATION に、しがみつく気はないっ!」って、
またしても前進しようとする「意志」が感じられる。
昔のように動かない疲れた肉体を引きずり、
「目」だけが、らんらんと光っている。(チャドは無表情だけど。笑)
オヤジでなるものか!レッドホットチリペッパーズは転がり続けるんだ!
ってのかな?荒っぽい演奏にも、そんな感じを受ける。
もちろん、俺は「好き好きレッチリ!」野郎なんで(笑)
都合のいいように解釈してるのかもしれないし、
「オヤジがんばれ!」とエールを送りたい気持ちでいっぱいで、
冷静な意見ではない事は重々承知っス!
今度も俺の期待通りのアルバムなんて作らないだろう。
多分、期待裏切る様なアルバム作ってくれるんだろう。
それこそ、まさに!期待通りだったりするワケで!(笑。あまのじゃく)
あ〜何が言いたいのか自分でよく分かんないんですが、
これは兄貴のコラムに対する俺なりの
「頑張れ兄貴!頑張れレッチリ!」ってヤツです!(意味不明)
まとまらないなぁ〜。(笑)/アル
アルさん。ぼくもある人のおかげでそのヴィデオを見ることができました。ブートでライヴを見るのはずいぶん久しぶりなので、なにか懐かしい感覚がありました。写真、動画を問わず、モヒカンになってからの彼らを見ていつも感じることは、なにか「痛々しい」という感覚です。前に書いたこととかぶるかもしれませんが、年齢的な問題、体力的な問題を考えると月日の流れは特に彼らのようなバンドにとっては大きな敵となっているはずです。それにも関わらず果敢に闘い続けようという「意志」が、ぼくにもはっきり感じ取れます。逆境の中で闘いを続けていくために、彼らは不可避的に、バンド同士の結束を以前にもまして強めようとしているように感じられます。このライヴの中で、何度か演奏を始めるタイミングが合わないシーンがありましたよね。その時「落ち着け」と言いながらドラムセットの前に集まり、顔を見合わせながらカウントを合わせていく光景が非常に印象的でした。彼らの姿は痛々しいけど、同時に心強くもあります。「困難な闘いだけど、4人でぶち破ってやるんだ!」という自信さえ感じられるような気もしています。
ところで「Californication」を受け入れるのに時間がかかったというお話、ぼくもよく分かります。レヴューには書きませんでしたが、最初はあまりの変化に愕然としてしまいました。あのアルバムは、それまでのRHCPのサウンド(有り体に言うとパンク、ファンクの融合)の変遷からは明らかに飛躍したもので、もはや「ヘヴィ・ロック」でさえありませんよね。それがあそこまで受け入れられたという事実も、正直理解できませんでした。「みんな本当に分かって支持しているのか?」と。でも、ぼくがサイトを始めてから知り合った人の中でもかなりの人が、あのアルバムを初めて聴いてファンになったというのです。そして、それ以前の作品を聴いてもなお、「Californication」がいちばん好きだというのです。もちろん、その人達がバンドの魅力を誤解しているかというとまったくそんなことはなく、むしろぼくなんかよりよく分かっていたりもします。当たり前ですが、ぼくらのようなオールド・ファンとニュー・ファンのどちらが正しいというような話ではなく、「Californication」のサウンドも、RHCPの魅力の一面として違和感なく受け入れられているのではないか、そう思ったわけです。ぼくらは幸か不幸か先に「母乳」や「Blood Sugar Sex Magik」を聴いているので「『Californication』が初めて」という人と同じ感じ方はできないのですが、もしそういう立場で聴けたなら、ずいぶん印象も違うのかもしれませんね。
「次のアルバムも期待通りではないだろう。それこそが『期待通り』だ」という意見、ぼくも同感です。彼らが転がり続ける限り、こちらが簡単に予想のつくような作品は作らないだろう、そう思っています。いつもうれしいけど、今回の書き込みは特にうれしかったです。ありがとう。それからぼくへの応援まで、ありがとう。がんばりますからね。/mine-D
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Is ROCK dead or not?
ロックは死んだのか?そうではないのか?「はじめに」に書いた「ロックは死んだ」という言葉に対して「いや、ロックは死んでなどいない」という反論を何度かいただいたので、ここらできっちりぼくの考えを書いておきたいと思う。
最初に断っておきたいのは、ぼくはけっして「ロックは死んだ。だからダメだ。意味がない」と言ってるわけではない、ということだ。もしそうならロックを聴くのをやめればいいだけの話で、わざわざこんなサイトを作り、ロックについて「ああでもない、こうでもない」と書いたりする必要はないはずだ。ロックの持つ力を信じているからこそ、こんな文章を書いてるわけで。だけど、今ぼくたちが「ロックだ」として聴いているものがどういうものであるかを知っていて損はないと思う。
ぼくが、ロックがいちばん輝いていたと想像するのは1969年くらい、ビートルズ、ウッドストック…あの辺の時期なのだが、あの時点で、ロックはティーンエイジャーの心情にきっちり寄り添ったものであったし、社会に大きな影響を与えうる存在であったと思う。今の時代からは想像もつかないような、イノセントな精神性を有していたのだと思う。たとえそれが幻想でしかなかったとしても、「ロックによって世の中を変えられる」、そう信じ込ませるだけのパワーを持っていたのだ。
ロックには確かにそうした純粋無垢な面があるし、そこを信じるからこそぼくだってここまでロックにのめり込んでいるわけだが、その一方で、ロックには商業主義的な一面が確実に存在することも忘れてはならない。基本的にCD(レコード)という「商品」を大量生産して売りさばくことで成り立っているのがロックというアートである以上、ロックは最初から「商売」とは無縁であり得ない。悪く言えば「バカなガキにどうやって商品を売りつけるか」を考えてばかりいるのが「ロック産業」に関わる人間だったりするわけだ。そういう側面を無視し、ないものとして「ロックは純粋だ」と言い張るのは欺瞞であり、偽善でしかない。その点はきっちり言っておきたい。
そして、その事実をはっきり暴き立てたロック・ミュージシャンが、まさにジョン・ライドンだったわけだ。徹底的に自分自身を笑い飛ばし、「中身のないロック・スター」を演じきることによって、ロックが本来的に内包していた偽善性を厳しく告発した。「お前らはありがたがってピストルズだ、パンクだと持ち上げてるけど、おれ達なんてただのクソだ。お前らはそんなくだらないものに金を払ってるんだぜ。それが『ロック』というものさ」と。そうした姿勢はある意味「誠実」だと思うのだが、ともかく、ぼくが「ロンドンパンクがロックを殺した」というのはそういうことだ。ジョン・ライドンがあれをやってしまったことによって、かつてロックにあった(あると信じられていた)純粋な精神性は激しく叩きのめされてしまった。汚されてしまった。もちろん、「ロック」という言葉に対してどういう思いを持つのかは人それぞれだ。だけど、ロックが「一度死んだ」音楽であることをきっちり押さえておくことは非常に重要なことだと思うのだ。そうでなければ、いつまでたっても狡猾な「大人たち」に騙され続けて終わってしまう。現にこの国に住む多くの少年少女が今、騙されているように。
もちろん「ロックは死んだ」と言い放ったところで、ぼくらがロックを聴くことから離れるわけにはいかない。「いち抜けた」といって、このゲームから降りることは、そう簡単にはできないのだ。それは自分自身の心情にこれほど寄り添ってくるものを他に知らないからであり、たとえ一度死んだものであれ、今聴いてるものがロックの亡霊であれ、どうしようもなくそれを愛している故なのだ。
ただ、意識的でないヤツや、死んでしまったロックをさも生きているかのように言い張って商売の道具にするヤツ、様式美的世界に逃げ込んでしまって現状と勝負しようとしない、いわゆる「産業ロック」「大衆ロック」を成立させている当事者などに対しては、はっきり「NO」を言いたい。なによりそれは、かつて奇跡的なまでの輝きを有していたロックに対する冒涜であると考えるからだ。
ジョン・ライドンにしたって、ただ単に「ロックはクソだ」と言いたいだけなら、音楽活動なんてやめてしまって他の方法でそう表現すればいいはずだ。だけど彼はずっとロックというフィールドで表現し続けてきた。そこがロック・ミュージックの面白いところで、意識的なアーティストにしたところでロックというフィールド以外で勝負しようという人はあまりいない。そう、「ロックは死んだ」ということを表現したいと思った時、最も適した表現フィールドは、やはりロックでしかあり得ないのだ。それはまさにリスナーであるぼく自身についても言えることで、「ロックが死んだ」と言わんがためにわざわざこうした「ロック」サイトを運営している。ロックに対峙するとき、常にこうしたアンビヴァレントな感情があることを理解してほしい。
もちろん、ここで述べたことはあくまでmine-D個人の考えであり、これは、いわばぼくが作り上げたロックのストーリーだ。全体的な視野から見れば、ぼくのいうロックは限定された範囲のものでしかない。また、たとえ商業主義ロックであろうと、聴き手の心情に鋭く食い込んでくるなら、それはその人にとっての「切実なロック」なのだ。他人がどうこう言う筋合いではない。よく思うのだが、こうした議論は最終的には個々人の趣味趣向のレヴェルに帰結してしまう。しかし、だからといってみんながみんな内向的になり、自分自身にしか目がいかないようになってしまってもつまらない。ぼくとしては、あくまで「個人的な」意見を発表して読み手の意識を刺激し、少しでも意味のある議論を喚起していければ、と考えている。
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The Fights Go On
RHCPは、(2000年)9月いっぱいで「Californication」発表後の、長いツアーをすべて終えた。まずは「お疲れさま」と言いたい。メンバーはこの後休みを取ると思うが、その後はニューアルバムのレコーディングに入るという情報が伝わってきている。一刻も早く新作を聴きたい、というのがファンの心情だろう。ぼくも今から楽しみにしているのだが、次作について、また、これからのバンドの方向性について、ぼくなりに考えることがあるので、書いてみることにする。
先頃、アルバムからの第4弾シングルとして「Californication」がカットアウトされた。最初は「シングルカットだし」と軽視して買い求めることをしなかったのだが、ヴュウワーのアルさんから指摘を受けて聴いてみた。「Californication」自体はアルバムと同ヴァージョンだし、特にどうということはないのだが、カップリングされている2種類のライヴ音源「End of show」、これが非常に印象に残った。
アルバム「Californication」の音世界とはまた違うし、今までバンドが作ってきたどの音とも違う。ひたすらダークで、内向的。全体的な手触りとしては、実に「ハード」なのだ。特徴的なのはジョンのギターとアンソニーのヴォーカルで、ジョンはハウリングを多用したクレイジーなプレイ、アンソニーの歌は「Transcending」で見られたような、エモーショナルなシャウトが耳につく。アルバム「Californication」の、せつなくて、どこかやさしい音とは違い、なんというか「闘っている」音、といった印象を受ける。
ファンの方はご存知だと思うが、この夏、フロントの3人が、髪型を同時にモヒカンに統一した。最初に公式サイトでステージの写真を見たときは、かなり驚いた。ジョンは加入当時モヒカンにしていたし、フリーはモヒカンを含めてしょっちゅうヘアスタイルを変えるので、特に驚くこともない。しかしアンソニーがモヒカンにするのはデヴューしてからは初めてだ(デヴューする以前にはモヒカンだったことがあるようだ。"サユリモドキ"さんのサイト「HILLEL HILLEL HILLEL」に写真がある)。それに、バンドのうち3人が髪型を統一する、ということは、RHCPの歴史上、なかったことで、昨年の「ウッドストック」でのバラバラの姿―アンソニーはYシャツにネクタイ、ジョンは長袖TシャツにGパン、フリーは全裸―とは対照的だ。このことを通しても、バンドが「闘っている」という感じを強く持つ。なにか、ネイティヴ・アメリカンの部族が、これから困難な戦いに出るに際し結束を固めているような…そんな印象を受けるのだ。
ぼくは「Californication」のアルバムレヴューに、バンドが「敗北宣言」をした、と書いたが、バンドにとって、次のアルバムをどう作るか、またこれからのバンド自体の方向性をどう持っていくか、というのは相当むつかしい問題だと思う。もちろんぼくには想像がつかないが、ただアルバム「Californication」で示された「枯れた」音世界を、さらに発展させたものになるだろう、という気がしていた。「もう、あえて闘う必要はないんだ」と。
だけど、「End of show」の音源、またモヒカン姿を通じて、バンドはこんなメッセージを発しているように感じてならない。「まだ闘いは終わっていないのだ」と。そのことを考えると、そわそわして、いてもたってもいられないような気分になってくる。あるいは次作が出た時点で、ぼくはアルバム「Californication」に対する認識を大きく修正しなければならないかもしれない。
もちろん、未だレコーディングにも入っていない段階でこういうことを言うのは時期尚早だということは分かっている。しかし、次のアルバムはバンドにとって、ものすごく重要な意味を持つことだけは間違いないだろう。バンドの音楽性の変化、複雑化しすぎたロックシーン、闘い続けるか否か、また年齢的な問題も含めて、これからRHCPが音楽を続けていく上で、その存在自体を賭けた1枚になる…こういうと言い過ぎだろうか。
バンドが「闘う」姿勢を見せていることで、ぼくはますます次作が楽しみになってきた。ぼくの想像を超えるような、すばらしい音が聴けることを、今から期待しているのだ。
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「危険行為」
先日行われたサマーソニック2000。主催者クリエイティブマンのサイトでは、BBSに主催者批判の書き込みが氾濫していたらしい。少し覗いてみたのだが、そのこととは別に気になる書き込みを見つけたので、取り上げてみたいと思った。確か女性からの書き込みだったと思うが、「ダイヴやモッシュなどの危険行為を、もっと厳しく規制すべき」といった内容だった。フェスでも、こういった「危険行為」を禁止する旨の映像が何度もスクリーンで流れていた。もちろん、主催者の立場として、こういったメッセージを「建前」として流さなければならないのは分かる。だが、もし本当にこの種の「危険行為」が発生するたびにうるさく注意されたり、公演を中止されたりしたら、それはちょっと違うだろう、と言いたくなるだろう。
確かに比較的体が小さく、体力のない女性にはダイヴやモッシュは「キツイ」だろう。しかし、ダイヴやモッシュを、簡単に「危険行為」と言い切ってしまう考え方には疑問を抱かざるを得ない。
もちろんぼくだって、たまに見かけるダイヴやモッシュ「だけ」が目的で来ているような客には反発を感じるが、ライヴが盛り上がるにつれて自然発生的に起こるダイヴやモッシュに関しては、完全に肯定的にとらえている。ロックコンサートというのはハレ、ケでいうと「ハレ」の場である。クソみたいな日常生活のしがらみから離れて「非日常」に触れることのできる数少ない「場」であるとぼくは思っているし、そこでは、できるだけ思うがまま自由に振る舞いたいと思っている。なのに、ライヴの場にまでわざわざ日常世界のルールを持ち込んでどうするんだ。
もちろん、コンサート会場でなら何をやってもいい、と言ってるわけではないし、人身事故が起こったりしては台無しだ。先日もパールジャム(だったか)のライヴで死亡事故があったばかりだ。こうした事故は、もちろん色々な要素が複雑にからみあった結果起こってしまったという面が大きいだろうが、ぼくなんかは、ライヴ会場にいる個人個人の力量に左右されるところも大きいんじゃないか、と思ってしまう。しかし、だ。客側にロックコンサートが本来的に危険なものだという認識が欠けているために、かえってライヴの場を「危険」なものにしているのでは、と感じることがあった。
サマーソニックでだが、目の前で人が転んでいるのに、誰も助け起こそうとしない。モッシュの最中に人が転んでいたら、何も考えず、すぐに助け起こさなければならない。それは非常に危険なことだからだ。もしかすると、最近の客は、そういう「マナー」をまったくわきまえていないんじゃないの?こういったことは、誰かが教えてくれるものではないし、自ら「現場で」学んでいくしかないと思うが、ダイヴやモッシュを片っ端から規制していっては、「学ぶ場」など形成されるわけもない。
規制されることを求める人には、「自己責任」に基づいた自由、という発想がないから、事が起こったときにすぐ責任転嫁しようとする。目の前で人が転び、黙ってみていた結果死亡事故になったら、「危険行為」を取り締まらなかった主催者を非難するのだろうか。そんなことをする前に、その人にはできることがあったはずだが。
マッドハニーが初めて大阪に来たとき、呼び屋は普通のプロモーターではなく、たしか「タイム・ボム」という地元のレコードショップだった(間違っていたらごめんなさい)。ライヴに先だっての主催者代表のアナウンスはこんな感じだった。「ダイヴでもモッシュでも、何をやってもらってもかまわない。ただ、そばで倒れている人を見かけたら、すぐに助けてあげてほしい」。最後に「死ぬなよー」と言い残して、主催者代表はバンドにバトンを渡した。ライヴは上を下への大騒ぎになったが、もちろんけが人も死人も出なかった。
過剰な規制は客の無責任と意識の低下を招くだけだ。どうせロックを聴くなら、自己責任と他者への思いやりに裏打ちされた、「本当の」自由を獲得したいと思うじゃない。それともそんなに縛られるのが好きなのかな?
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ミクスチャー
RHCPが「母乳」や「Blood Sugar Sex Magik」を発表して日本でもその名を知られるようになるにつれて、彼らをいわゆる「ミクスチャー・ロック」の旗手として取り上げる動きが雑誌メディアその他で表れてきた。
もちろん、この手の音は嫌いじゃないし、そういった「ミクスチャー・ロック」をやるバンドは、RHCPと同郷のフィッシュボーン、ジェーンズ・アディクションといったグループをはじめ、24-7スパイズ、サイケファンカパス、リンボー・マニアックス、アーバン・ダンス・スクウォッドといったそれほど著名でないものまで含めて、探し出しては聴く、ということを続けていた。今でも「ミクスチャー系」という言い方でジャンルが確立してるようなシーンに対しては、黙ってみていられない、といった感じで、いつも気にしている。
ただ、一口に「ミクスチャー」としてくくられてしまうこれらのバンドだが、それぞれ特徴、持ち味はかなり違うので、これらのバンドを、全部ひっくるめて「ミクスチャー」という一言で片づけてしまうことには抵抗を覚える。例えばRHCPとジェーンズ・アディクション、フィッシュボーンの3組を比較してみれば分かるが、音楽性はまったくといっていいほど違う。なぜそんなに簡単に同じ枠に放り込んでしまえるのだろう。
そもそも「ロックンロール=ロック・アンド・ロール」自体、50年代に白人のカントリーと黒人のR&Bが結びついてできあがったものだ。ロックンロール自体成り立ちは「ミクスチャー」だと言えるし、時代を経るに従ってロック自体も変化し、色んな要素を取り込んでその形を変えていく、と考えるのが普通だ。「ミクスチャー」とか「グランジ」などの「オルタナティヴ」ロックに対比される「オーソドックス」で「ノーマル」なロックとは、いったいどのバンドがやっているのだろうか。そんなバンドはたぶんいないし、いたとしてもそのバンドがやっている音楽は、もはや「ロック」とは呼べないだろう。いずれにせよ、「ミクスチャー・ロック」という言い方自体、意味がないように思えてしまう。
上に挙げたバンドに共通している特徴は、ファンクのビートだと言っていいだろう。個人的には「ミクスチャー・ロック」と呼ばれているものの正体は、ハウス、ヒップホップなんかも含めた、世界的な「ファンク/グルーヴ復興」の大きなムーブメントの一環だったのでは、ととらえている。
80年代後半の音楽シーンを制覇していた、あの悪しき「ユーロビート」―4拍子のオモテでリズムをとる単調で無味乾燥な音楽―への反動から、「ファンク/グルーヴ」―16拍子で細かくリズムをとり、いわゆるウラ拍でキメるビート―を希求する方向へと多くのミュージシャンが向かっていたのだ、と思う。この「ファンク/グルーヴ」指向はすでに一般化していて、当たり前のものになってしまった感がある。例えば……変な例で申し訳ないが、ジャニーズ事務所のアイドル、80年代の光GENJI「ガラスの十代」と最近の「嵐」(嵐)を比べてみてほしい。リズム、グルーヴ感という面で相当進化してきているのが分かると思う。アイドル歌謡でも間奏ではラップをやる時代なのだ。
かなり乱暴な言い方だが、ヒップホップもハウスも、つきつめて考えればその正体はファンクだ。その点でデヴュー時からファンクを追求していたRHCPのセンスは特にすぐれていた、といっていいと思う。そして、音楽性は違えど同じようにファンクに力点を置いたジェーンズ・アディクション、フィッシュボーンといったバンドがL.A.から同時発生的に出てきたのは、なにか示唆的なものがあるように感じる。
一時一世を風靡した感のある「ミクスチャー・ロック」だが、ポイントは「ごちゃ混ぜにする」事そのものが目的だったのではない、ということだ。ブラックミュージックへの憧憬と、パンクの衝撃、それらを「普通に」消化した彼らは、自然にミクスチャー的スタイルを身につけていったのであって、「これとこれを混ぜてやれ」というような目論見があったわけではけっしてない、ということだ。凡百のフォロワーが泡のように消えていったのは、当然の帰結といえる。「Rockin' On」誌がRHCPを軽視する一方で大々的に持ち上げていたリンボー・マニアックスなどは、いったいどこへ行ってしまったのだろうか、と考えたりしている。
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Columns
Body or Party?―Special Secret Songの歌詞―
「The Uplift Mofo Party Plan」に収録されている「Special Secret Song」。ストレートにセックスを歌った初期のRHCPに特徴的なチューンなのだが、この歌詞について言いたいことがあるのだ。
この曲は「Special Secret」だけあって、歌詞カードに歌詞がのっていないのだが、現在廉価版としてリリースされている国内盤には、日本人の翻訳者の方が聴きとった歌詞が掲載されているようだ。そこでは、この曲のサビのところが「i want your body and your pussy, baby」(お前の体とプッシーが欲しい)とされているのだ。ぼくは自分なりに、ずっと「i want to party on your pussy, baby」(お前のプッシーの上でパーティーがしたい)だと思っていて、ある掲示板でその旨書き込みしたこともあって、「間違ってた、恥ずかしい!」と思ったのだが、よく聴いてみてもやはり「party」のような気がしてきてしょうがないのだ。
まずひとつには、もし「body」なら、その前に来る「i want your...」の部分が、カタカナ表記すると「アイ・ウォンチャ」または「アイ・ウォンニャ」のように発音されるはずだ。しかし、何度聴いてみても「アイ・ウォントゥ」、はっきり「トゥ」と発音しているように聞こえる。後半早口で歌う箇所では、「i wanna...」と歌われているようなのだが、「wanna」の後に名詞がくることはあり得ないから、やはり「party」では、と思う。
意味的にも「プッシー」は「ボディ」の中に含まれると考えるのが普通で、わざわざ「体とプッシーが欲しい」というのは不自然なように受け取れる。曲の出だし、小さな声で「Party!」と言ってることからも、このサビはやはり「Body」ではなく、「Party」なのではないか、と思ってしまうのだ。
もちろん、ぼくとてリスニング能力に優れているわけではないので、本当のところは分からないが…。どう思います?
(その後お寄せいただいた情報によると、オフィシャルブック「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」(デイブ・トンプスン著)の中に、「この歌のタイトルはもともと『Party On Your Pussy』だった」という記述があるらしい)
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