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You Come & Go Like a Pop Song/The Bicycle Thief
セロニアス・モンスター(Thelonious Monster)は80年代からL.A.を拠点に活動してきたバンドで、その中心人物がボブ・フォレスト(Bob Forrest)だ。RHCPとはもともと友達同士だし、フリーが彼らのアルバムに参加したりと音楽的交流も盛んだった。ジョン・フルシャンテがRHCPに加入した時も、もともとはセロニアス・モンスターのオーディションを受けに来ていたジョンをRHCPが引っ張ってきたという経緯があると聞いている。
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その後セロニアス・モンスターは特に売れるワケでもなく、長い期間にわたって活動を休止していたようだ。ボブ・フォレストは音楽に対する情熱を失い、酒やドラッグに耽溺する生活を送っていたらしい。しかし偶然知り合う事になったジョシュ・クリングホッファーの、音楽に対するまっすぐな情熱に触発されて再び音楽をやる事を決意し、ジョシュと一緒にバイシクル・シーフ(Bicycle Thief)としてアルバムを作った。それがこの「You Come And Go Like A Pop Song」だ。
この作品については、mine-Dがあれこれ書くよりも、「Golden Voice」(インディー・レーベル)のサイトに、ボブ・フォレスト自身が書いたバイオグラフィーを読んでもらった方がずっと理解できると思うので、その原文をmine-Dなりに訳したものを、少し長くなるがすべて引用してみる。意味のつかめないところはかなり意訳しているので、あらかじめご了承を。
バイオグラフィーニルヴァーナが音楽ビジネスの世界に、パンク・ロックが何百億ドルものビッグ・ビジネスであり得ると気づかせた、そのずっと前から、アメリカ中に偉大な(そしてそれほどでもない)バンドはいっぱいいた。おれたちは6人でモーテルの部屋に泊まり、小さなバーで、数少ない、物好きな客を相手に演奏して回った。真夜中、こっそりおれたちを中に入れてくれ、エンジニアリングまでやってくれるようなありがたい管理人のいるスタジオで、偉大な、そしてそれほど偉大でもないアルバムをレコーディングした。おれが好きだったバンドはリプレイスメンツ、ソウル・アサイラム、ザ・ミート・パペッツ、ハスカー・デュー、そしておれがいたバンド、セロニアス・モンスター。
おれは何千というショウをこなし、4,5枚、いやたぶん6枚のアルバムを作った(覚えてないんだ)。音楽活動は愛に満ちていたけど、憤りにも満ちていた。「成功」への望みはこれっぽっちもなかった。ただただ、音楽への愛のため、そしてバーのため、女の子のため、楽しみのためにやっていた。その後、様々な事情が重なり合って、状況は変化してきた。おれはもう音楽の仕事が好きじゃなくなってきていた。音楽への愛は放ったらかしにされた。金や、周りからの期待や、妬み…そうした様々な醜悪な事だらけになってしまったんだ。続けようとしたけど、うまくはできなかった。おれは仕事を投げ出し、酒を飲み、ドラッグにはまった。この星から出て行く事さえ考えた。おれが心の底から愛し、大切にしてきた、たったひとつの大事な物が終わってしまった。それはやり遂げようと努力してダメだったからではなく、おれ自身が変わってしまったからなんだ。おれはあまりにも強くダメージを受けてしまっていた。おれの音楽に対する考え方は、ねじ曲がっていた。「まだ十分に成功していない」とか「レコード・セールスが悪い」とか、そんな感じで。
おれは1993年に完全に活動を中止した。
酒を飲んだ、酒をやめようとした、ドラッグをやった、皿洗いの仕事をした、自分自身を惨めに思った、少し大人になって、息子の世話をした、恋に落ちた、運送業の仕事をやった、借金を返した、酒をやめた、ドラッグもやめた、テレビを見て、本を読んだ、犬を散歩させた。ある朝目覚めると、いい気分だった。ハッピーだと感じた。ここ数年で初めて、アイディアをノートに書きとめ始めた。
おれはガール・フレンドの妹から紹介されて、ジョシュ・クリングホッファーに会った。おれとジョシュは家で一緒に演奏をやり出し、アコースティック・ギターを使って何曲か曲を書いた。おれはジョシュの中に、純粋さと、音楽に対する愛情を見いだした。おれがかつて持っていたものを。そして、自分自身の音楽への愛情を、今一度考え始めた。再びレコードを買い始め、音楽を聴いた。本当に生き返ったような気分になり始めていた。外へ出かけて、色んなバンドのライヴを見ることを始めた。
ジョシュとおれは何回かライヴをやったんだけど、それは(なんとかまだ世間に通用していた)おれの昔の名声に乗っかったような形だった。おれたちはセロニアス・モンスターの曲をやったり、おれたちの新しい曲をやったり、二人の好きな曲をやったりした。アコギだけで。ただ楽しみのために。本当に楽しかった。おれたちはもう一度バンドをやる事を話し合った。でも、おれはまだ心配だった。今でもそうだけど。バンドの一員でいるってことは、すごく感情に動かされやすい状況にいるってことだ。かつておれは11年もそんな状況にいたんだ。とにかくおれは、おれ自身のためにもう一度、なんというか「キャリア」を作り直す事に決めたんだ。もうかなり歳をとっていたし、その事に対する恐怖もあった。「ゴールデン・ボイス」っていうコンサート企画会社にいる友達に電話して、今のおれの状況を説明し、プロモーターとして下っ端から仕事をさせてくれと頼んだ。すると奴らは「ボブ、君はシンガー/ソング・ライターだろ?君がそんな仕事をやりたいなんて思うはずないじゃないか」と言った。「おれはメッセンジャー(電報や手紙を配達する仕事)をやってんだぜ?それが今のおれの姿だし、おれはこの人生において、何かやるべき仕事が必要なんだよ」と言った。おれはレッド・ホット・チリ・ペッパーズに彼らのツアーのトラック運転手として雇ってもらえないか聞いてみた。彼らは「ボブ、君はトラックの運転手なんてやりたいと思うはずないよ。君はシンガー/ソング・ライターなんだぜ?」と答えた。「だから!おれはメッセンジャーなんだよ!あああ!」。
すぐに、ゴールデン・ボイスがおれ自身の配達するメッセージ・ペーパーで連絡を取ってきた。おれは興奮した。奴らの気が変わって、おれを雇う気になったと思ったんだ。けどそうじゃなかった。ゴールデン・ボイスは新しいレーベルを立ち上げたばかりで、おれにアーティストとしてやる気はないかと尋ねてきたんだ。ジョシュとおれは奴らのオフィスの床に座って、何曲か彼らに曲を聴かせた(そのうち6曲が、「You Come And...」に入ってる)。
リビング・ルームでの演奏から、アルバムというきちんとした形へ持っていくために、おれたちと一緒にやってくれる誰かを探していた。バンド・メンバーではなく、プロデューサーとかエンジニアで、おれやジョシュと一緒に演奏してくれる人間を。おれは古い友達に誰かそういう人間を知らないか聞いてみたが、誰も見つからない。結果、友達のマーク・ケイツが電話してきて、Josh BlumとMark Hutnerという二人のプロデューサーに話してみてはどうかと言った。彼らはSugartoothというバンドのメンバーだった。素晴らしかった。彼らは作曲や演奏でおれたちをヘルプしてくれ、エンジニアもやってくれた。彼らはとても面白い人たちだった。4ヶ月の間、週に3,4日、夜になるとL.A.の古いオフィス・ビルに集まって、デモをやったり、曲を書いたり、ボーっとしたりして過ごした、おれたちの「責任」なんて考えることもなく。素晴らしい日々だった。そして、ドラマーとしてケヴィン・フィッツジェラルド(元Geraldine Fibber)に参加してもらって、おれたちはスタジオに入った。おれは再び、なんとも言い難い感情を抱き始めた。今おれは、その感覚と共にいる。期待(みんなは気に入ってくれるだろうか?買ってくれるだろうか?)。混乱(いったい誰がバイオグラフィーなんて読むんだ?)。怖れ(ラジオで曲がかかるだろうか?)。心配(おれはまたメッセンジャーの仕事に戻ってしまうのか?)。
えーと、つまり、おれはこういうの、昔経験した事があるんだよ。
ボブ・フォレスト
このアルバムが売れるかどうかなど、彼はほとんど気にしていなかったに違いない。間違いなく、彼にとって音楽を作って歌い、発表するという行為はそのまま、生きる事につながっているのだ。この作品を作る事は彼にとってすごく「切実な」事だったのだろうと思う。歌われる内容は(音楽的な意味ではなく)「ブルーズ」と言っていいだろう。寂しい気持ちも、情けない気持ちも、やりきれなさも、不安も、彼の優しさも、弱さも、そのままCDの溝にレーザーで刻み込まれている。
聴けば聴くほど、その良さが分かってくるタイプの一枚だ。
なお、活動を休止していたセロニアス・モンスターはなんと2004年に復活し、「California Clam Chowder」というアルバムを発表している。公式サイトもできているので、ぜひ訪れてみてほしい。
個別リンク:http://www.mine-d.com/article/archives/2004/12/you_come_go_lik.html|↑
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Attention Dimension/Jack Irons
RHCPのオリジナル・ドラマー、またパール・ジャムでの活動でも知られるジャック・アイアンズの初ソロ作。旧友のアラン・ジョハネスがヴォーカル、ギター、その他種々様々な楽器で全般に渡ってサポートしている他、ナターシャ・シュナイダー(「Eleven」というユニットをアラン、ジャックと共に組んでいた)も数曲にピアノ、コーラス等で参加、RHCPからはフリー、パール・ジャムからはエディ・ヴェダー、ジェフ・エイメント、ストーン・ゴッサードが、さらにプライマスのレス・クレイプールなど、蒼々たる面子のゲスト陣を迎えて制作された。オフィシャル・サイト(http://www.jackirons.com/)にジャックが記した紹介文によると、1999年頃から作り始められていた事が述べられている。
アラン・ジョハネスは、高校時代からジャックと故ヒレル・スロヴァクが在籍していた「What Is This」(二人はRHCPとこのバンドを掛け持ちしていたが、古くから参加していたWhat Is Thisでメジャー・デヴューする事を決めたため、RHCPデヴュー時にはジャックとヒレルが抜けていた経緯がある)というバンドの中心人物で、前述したようにElevenでもジャックと活動を共にしていた。ブックレットの謝辞でジャックが述べているようにジョハネスのこのアルバムにおける働きはすばらしく、与えた音楽的ヴァリエイションの大きさから考えても、その貢献度は計り知れないものがあると言える。
実に多彩な音楽性である。アフリカン・ビートやアジア民族音楽の影響がはっきりと表れた曲(「Suluhiana」「Dunes」「Breaking Sea」など)では、様々なパーカッションが使用されており、パーカッショニストとしてのジャック・アイアンズの魅力が色濃く反映されている。また、「Hearing It Doubled」「Shine On Your Crazy Diamond」(ピンク・フロイドのカヴァー。エディ・ヴェダーがヴォーカルを担当)、「Come Running」などの「歌もの」もそれぞれ非常によく「練られた」印象で、歌あり/歌なしの曲のバランスもよく、アルバム全体としてまったく飽きが来ない構成だと言える。
ジャック自身はドラム、パーカッションに専念しているのかと思っていたのだが、ギター、シンセサイザー等を自分でこなす上、前述の「Come Running」ではヴォーカルも披露している。ほとんどの曲はジャック自身によって作られているようで、意外な音楽的才能に驚かされる。
特に「Underwater Circus Music」や「Water Song」などに顕著だと思うのだが、ファンクとはまた違う、この人独特のグルーヴ感というものがあるのではないかと感じさせられる。同じリズム・パターンを繰り返す事によって生まれてくる「うねり」がグルーヴなのだが、この人の場合は一度知ってしまうと癖になるというか、不思議な魅力に満ちたグルーヴ感を出してくるので、知らず何度も何度も聴いてしまう事になる。ちなみに、先述したオフィシャルの紹介文によるとジャックは本作において「ループ」を、1曲を除いて一切使っていない。つまり、繰り返しのリズム・パターンでも、最初から最後まできっちり叩いているのだ。
先ほどから出てくる曲名からも分かる通り、この人は間違いなく「水」のイメージが好きなのだ。最後に「Aquaman's Electric Band」という曲が収録されているので勝手にジャックの事を「アクアマン」と呼ばせてもらうことにするが、そのアクアマン自身によるアルバム・アートには鯨やイルカが描かれている。で、普通「水」「海」といったテーマなら青を使いそうなものなのに、なぜかサイケデリックな色調ばかりで、描かれている人物はなにか虚ろで能面のようでもある。こうしたある種の「狂気」と、一方では自然回帰的な海、水といったイメージ、その二つが同居しているところが、ジャックの表現における最大の特徴ではないか、などと考えたりもした。
先述のオフィシャルにジャックが書いた紹介文では、このアルバムを制作するに至った経緯が詳しく述べられているのだが、ジャックはそこで1998年にバンド(パール・ジャム)を辞め、音楽ビジネスからいったん身を引く決断をせざるを得なかった旨を述べている。そこには健康上の問題もあったが、彼は「自分自身の人生を生きるために、自分の身を捧げなければいけないと思った。それは癒しであり、自分や家族が『正しく』自分たちの人生を生きていく事」だったのだと言う。自分自身をヒールするための音楽。あるいは再生のための音楽。この作品は音楽的に意義のある優れた作品であると同時に、ジャック自身がどうしても作る必要があったパーソナルな作品でもあるのだ。
かつてはヒレルの死のショックから精神病院に入院していた事もあるジャック。mine-D自身も、「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ・ファイル」(シンコー・ミュージック刊)に掲載されていたジャックの記事を読んで、心に強く思うところがあったのだが、彼が今元気にしていて、こうした形で音楽的にもクォリティの高い作品を生み出し、それに際して多くの友人達が集まったという事実には、強い感動を覚えざるを得ない。ますますこの人が好きになった。この音楽はずっと大切に聴いていきたいと思った。そんな作品。
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Shadows Collide With People/John Frusciante
3年ぶりに発表された、ジョン・フルシャンテ4枚目のソロアルバム。フリー、チャド・スミス(RHCP)、オマー・ロドリゲス(マーズ・ヴォルタ)といったゲストを迎えて制作された。前作「To Record Only Water For Ten Days」のレヴューで、ぼくは以下のように述べている。
もちろん、金をかけてスタジオミュージシャンを雇い、いい機材を使って作ればもっと「しっかりした」アルバムを作ることはできただろう。個人的にはそうしてほしかったと思っている。
この、「しっかりした」作品という点に関してなのだが、今作では驚くほど進歩している。楽曲そのものの良さはもとより不変のものだと思うのだが、前作と比較するとその違いはあまりにも明瞭だ。すべての楽器の音はクリアに響き、ジョン自身のヴォーカルスタイルも曲毎に表情を変える。アレンジャーとしても、ヴォーカリストとしても、あるいはプロデューサーとしても、確実に進歩したジョンの姿が見て取れる。特にヴォーカルの表現力の向上はすごい。
この人がソロでやるときの基本的スタイルは「生ギター」という事ではないかと思うのだが、今作ではそれをベースにした上に、技巧を凝らした様々なアレンジが施されている。まずは、RHCPのワークでもすっかりおなじみになったコーラス。ドゥ・ワップやビートルズのそれをお手本にしていると窺えるスタイルなのだが、なにか独特の味があるというか、非常に心地よく耳に残るコーラスをつけるのだ。コーラスに関しては、すっかりものにしたという感がある。次に電子音。Moog VoyagerやDoepfer A100といったアナログ・シンセサイザーで作り出されるそれは、ほぼアルバム全編に渡って繰り広げられる。電子音だけで構成されたインストゥルメンタルの曲もある。一聴すると耳障りなノイズにしか聞こえないはずの電子音が、不思議と「まさにこの音しかない」と思わされるほど、絶妙なタイミングで絶妙な音が配置される。こうした電子音が、一度聴けば二度、二度聴けば三度…と、なんどもこの作品を聴いてしまう魅力になっているような気がする。コーラスと電子音こそが、ソロ・アーティストとしてのジョン最大の特徴ではないか。
もはや音楽的にはジョンとの人格の境界が曖昧なジョシュ・クリングホッファー(バイシクル・シーフ)のすばらしさは、改めて指摘するまでもないだろう。2曲目では歌声も披露している。また、前述のチャド・スミスはシンセ曲以外の全曲に渡っての参加であり、このアルバムをビシッと引き締める要になっている感がある。
なにかのインタヴューで「曲は神なんだ」と話していたジョンを思い出す。レコーディングの過程において、ジョンは曲の作者であると同時にその曲の良さを最大限に生かすため、献身的に尽くすべく、全力を出して働く「僕(しもべ)」であるはずだ。曲という神を前にしたジョンはただただその曲が本来的に備えている力を引き出し、ひたすらそのすばらしさを崇める。そこにあるのは「無私」の精神であり、もはや「信仰」である。
「信仰者」としてのジョンは本作において実に遺憾なく神の僕となって働いている。大いなる光に包まれた信仰者の姿は神々しく、その心は平静そのものだし、その顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。あまりにも揺るぎない信仰心ゆえに、そこには邪悪なものが入り込む隙はない。また邪悪なものの力を借りて、自らを試したりする必要もない。そういった感じだろうか。
凄まじい魂の遍歴の末に到達したのは、穏やかで優しい地平だった。苦悩も歓喜もすべては等しく、ありのままに提示される。他の誰にも絶対に真似のできない音楽。
100%お勧めする。傑作。
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Strays/Jane's Addiction
今ロックバンドをやっている人は大変だろうな、と、時々思う。これだけ様々なスタイルのロック音楽が溢れている世の中で、あらゆるロック的手法が試し尽くされたように思える状況の中で、革新的な音楽を創り出していくのは、ものすごく大変な事だろうと思うのだ。流行っているスタイルのコピーをやって平然としていられるようなミュージシャンならまだ楽だろう。だが、本当に意味のある音楽を創りたい、新しいスタイルを創出したいと思っているミュージシャンにとって、今の時代というのはあまりにも酷なのではないか。そう思う。何をやっても過去に誰かがやった事の繰り返しになるだけだ。
80年代後半から90年代初頭にかけて、「オルタナティヴ」という名前で括られる、いくつかのバンドが生まれた。硬直化してつまらない音楽ばかり量産している既存のメインストリームに対して「何かそれとは違うもの」を提示したバンド達。それまで見たこともないような新しい価値、新しいスタイルを示した。そんな「オルタナティヴ」なバンドのひとつが、今回10年以上のブランクを経てオリジナル・アルバムをリリースした、このジェーンズ・アディクション(以下JA)だ。
10何年かを経た末に今、シーンで起こっているのは、本来の「オルタナティヴ」がメインストリーム化するという矛盾だ。JAや、ニルヴァーナ、スマッシング・パンプキンズといったバンドが作り上げてきた「サムシング・オルタナティブ」を、希釈して商品化し、マニュアル化し、汎用化し、量産して成り立っているのが今のロックシーンだと言える。冒頭で述べたように、こうした時代にロック・バンドをやっていく事は難しい。あなたがペリー・ファレルなら、なおいっそう難しいだろう。あなたや、バンドメンバー達がかつて作り出した音の粗悪なコピーが市場には多く出回っている。そんな中へ「ジェーンズ・アディクション」として切り込んでいくのだ。新譜を出したところで、自らのフォロワー達の中に、自分達の音が埋もれてしまう危険がある。「伝説のバンド」のままでいた方が、ずっと楽なはずだ。
しかし、ペリー・ファレルはあえて冒険に出た。まっこうから「バンド」JAに向き合い、今の時代に自分達の存在を問うた。結果として届けられたこの「Strays」は、非常にクォリティの高い、素晴らしい作品に仕上がっている。
このアルバムが成功している原因のひとつは、ペリー・ファレルが真正面から「バンド」としてのJAの可能性にこだわったところにあると思う。もともと「バンドマン」というよりは「アーティスト」であったペリーは、初期の段階からそうした特質を露わにしていた。そうした姿勢は、JAに「バンド」としてだけの価値を求められる事を、ひたすら拒否しているようにも感じられた。彼のソロ作を聴くと、そうした姿勢をよく理解できるだろう。だが、この作品に限って言えば、彼は自らのそうした傾向をバッサリと切り捨て、ひたすらロック・バンドとしてのJAの可能性を追求しているように思える。民族音楽もドラムンベースもなし。かつて物議をかもしたジャケットアートもなし。バンドの枠から逸脱せず、その範囲内で極限まで可能性を探った事が、良質のロック・アルバムとして本作を成功させている最大の原因だろう。
スケールの大きい音世界。リフを主体とした音作り。ファンク・グルーヴ。デイブ節、ペリー節、スティーヴン節…。「JAの音」を求めていたぼくのようなファンを唸らせるには十分過ぎる作品だと思う。正直、ここまでのものを出してくるとは思ってなかったのだ。当たり前のような顔をしてバンドの音を進化させている。こんなもの、10年以上ブランクのあったバンドが作るアルバムではない。驚異的だと思う。
もうひとつ特記しておくべき事は、このアルバムがあくまで「売れ線狙い」の音作りをしている事だ。以前の作品と比べると、シンセの多用が特徴として挙げられると思うが、デイヴの弾くリフのキャッチーさなども相まって、非常にアピール度の強い曲ばかりが並んでいる。ほとんどの曲が、シングルカットしてそのままラジオでエアプレイしてしまえるくらいだ。「孤高のカリスマバンド」に収まるのではなく、積極的に「売れる」努力をしているのは評価に値すると思う。それでいて、けしてリスナーにおもねた音作りをいるワケではないところも素晴らしい。
もちろん色んな見方があるだろうが、ぼくはこの作品を全面的に評価する。もし、まったくJAの事を知らない人がいて、その人にアルバムを勧めるとしたら、まずこのアルバムを聴いて、それから過去の作品に遡る聴き方を勧めたい。「代表作」と呼んでいいくらいの作品だと思うからだ、この「Strays」は。
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To Record Only Water For Ten Days/John Frusciante
たとえばあなたはアーティストだとする。自分の作った曲をたくさんの人に聴いてもらいたいと思う。だけど本当に多くの人に聴いてもらうためには、マスな流通産業の流れに自らの作品を乗せなければならない。そこであなたは考える。売れるための方法を。覚えやすいキャッチーな曲を作ろう、いいプロデューサーにプロデュースを依頼しよう、ヴィデオクリップに金をかけよう、今流行ってる音を取り入れよう、派手な宣伝を打とう…。そうした喧噪のただ中で、あなたは自分のアーティスト活動本来の目的を見失ってしまう。実際、ぼくらが日々聴かされている音楽の大多数はそうした思惑をはらみ、過酷な競争をくぐり抜けた末に届けられたものだ。ぼくらは完成度の高い、耳障りのいい音楽にすっかり慣らされていて、それが普通のことだと思っている。でも、時にまったくそうした次元から離れた音楽に接するとき、ぼくらは普段自分が聴いてる「商品化された」音楽の意味を考えることになる。そう、このアルバムを聴いたときのように。
ぼくがこの作品を評するのは、すごくむつかしい。なぜなら、ぼくがこのアーティストを一度は見捨てた人間だからだ。ジョン・フルシャンテがRHCPを脱退した後、リリースしたファーストソロアルバムをぼくはレコードショップで見かけている。だけど、迷った末けっきょく買わなかった。ジョン・フルシャンテファンサイト「Fragile Guitarist」のB坊さんなど、彼がバンドを離れてからもずっと追いかけ続けていた人はいる。バンドに戻ったからといって、なぜ今になって新作を買い、それを批評しようというのか。ファースト、セカンドは買おうとしなかったくせに。
そういう訳なのでぼくはファースト、セカンドを聴いていないし、このアーティストの本質についてさほど深く理解している訳ではない。いいわけがましくなるが、どうかその点は分かっていただきたい。
この作品ときちんと向き合うことは、けっこうしんどい。覚えやすいキャッチーなメロディーに浸ることもできないし、カッコいいギターリフや爆音サウンドにカタルシスを感じることもできない。ただ、無作為に並べられたむき出しの「歌」と直面せざるを得なくなるのだ。レコーディングはジョンのギターと歌の他には、ジョン自身がコツコツ作り上げた「打ち込み」の音のみだし、録音状態もお世辞にもいいとはいえない。もちろん、金をかけてスタジオミュージシャンを雇い、いい機材を使って作ればもっと「しっかりした」アルバムを作ることはできただろう。個人的にはそうしてほしかったと思っている。だけど、彼にとってそんなことはおそらくどうでもよかったのだろう。それよりは、(おそらく自分自身のために)「やらずにはおれない」音楽表現を、いかに自分が納得できる形で歌にし、作品として残すか…そういったヴェクトルにしか彼の意識は向いていない気がする。
冒頭の話で言うと、この作品は最初からマーケットで大量消費される「商品」として扱われることを拒否している。いや、商品であることにまったく無頓着だと言った方がいいだろう。収録されている楽曲は、あくまで彼自身に向かって歌われている印象が強い。その意味で、この作品は限りなく個人的な作品だといえる。では、これは完全に「閉じた」アルバムなのだろうか。
しかし、彼は今回のアルバムリリースに際して受けたインタヴューで「音楽で人をハッピーにさせる」ことに言及していた。これを「エンターテインする」事と同義だとして、その観点からこの作品を振り返ってみれば、もちろんエンタテイメントにはほど遠い世界だ。もちろん、「一般的な尺度ではかれば」の話だが。だけどこれは、きっと彼なりの精一杯のサービスなのだろう。もしジョンにその事を問えば、にっこり笑ってこう答えそうな気がする、「うん、すごくエンタテイメントだろう?」と。この辺りが、この人の純粋さというか人のよさというか、ファンがどうしようもなく愛してしまう魅力なのかもしれない。
作品によってふさわしい聴かれ方というものがあるのかどうか分からないが、これらの曲がラジオでプレイされたり、レコードショップでBGMとしてかかっていても、よさは分からないような気がする。やはり夜中に部屋で一人、ヘッドフォンで聴く…こういう聴かれ方がふさわしいように思う。あと、歌詞カードを見ながら聴いた方がいい。輸入盤には対訳がないから…と思う人でも、分からないなりに歌詞を見て聴いてみればいい。何か確実に食い込んでくるものがある。
当たり前だが、これはあくまでジョン・フルシャンテという一人のアーティストの世界であり、RHCPのギタリストとしてのジョンの世界とはほとんど「まったく」次元の違う世界だ。輸入盤CDにデカデカと貼られたシールに「JOHN FRUSCIANTE OF THE RED HOT CHILI PEPPERS」と書かれている(もちろん「売る」ためのものだ)。「これはいらないだろう」、そう思った。
個別リンク:http://www.mine-d.com/article/archives/2004/06/to_record_only.html|↑
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SlipKnot/SlipKnot
ゾンビ、キチガイピエロ、ガスマスク、天狗、ボンデイジ、死体、幽霊…それにしてもメンバーのいでたちはすごい。雑誌等で見てご存知の方も多いだろう。悪趣味というかマヌケというかハリウッド映画の狂気というか、どうせやるならここまでやれよ、というお手本のような格好だ。すばらしい。
このアルバムで初めて音を聴いたのだが、ぼく的にはこういういでたちなら…たとえば、メンバー全員が奇声を発しながら太鼓を狂気乱打する…そんなパフォーマンスだったとしても別段驚かない。ぼくも相当色んなものを見たり聴いたりしてきたつもりだ。心づもりはできている。だけど、ここで展開されている音はいたって「まとも」だと言える。正直これほどしっかりした音楽性を有しているとは思っていなかった。見た目とのギャップがすごいのだが、メロディーをしっかり歌っている曲もある。
もちろん、「しっかりしている」といっても、それはある程度限定されたフィールドの中での微細な差異の話だともいえる。思うのだが、このところ大量発生しているこの手の「ロス・ロビンソンもの」は、おしなべて没個性化が進んでいるように感じられてならない。もちろん、個々のバンドによって多少傾向の違いはあるが(このバンドでいうとノイズ、スラッシュ的要素などが多少勝っている、あとアジア民族音楽テイストも面白い)、ハードコアなゴリゴリリフ、ヒップホップの消化、グルーヴ感…どのバンドの音も明らかに同じ質感を有している。まったくこの手の音を聴かない人に、このバンドと…例えばKORNとの違いを説明しろと言われたらかなり苦しい、こういう音をよく聴く人にとって両者の音楽性はまったく違うにも関わらず。
しかし。注意しなければいけないのは、もはやこうしたバンドがやろうとしていることは、後世に残るようなすばらしい音楽を作ることや、じっくりと聴き込ませるような音楽を作ることではない、ということだ。クソみたいな現実生活の中で人間の内部に蓄積していくネガティヴなエネルギー。それらを、破壊的な音世界を通じて一気に放出する、ただそれだけのために機能するロックミュージックがあってもいいと思うし、昨今のアメリカン・ヘヴィロックにおいては特にその傾向が強まっているようにも思える。ユースの爆発的なフラストレーションを排出するための、「装置」としての音。もはやそれは、音自体に意味があるのではない。当然モッシュやダイヴが乱発しているだろうライヴ会場で、「鳴っている必要がある」だけの音。そして、彼らの主張したいことはただ「Fuck it all. Fuck this world」、それだけだ。だけど、ただそれだけのことを言うために、ものすごいエネルギーを費やしているし、それこそ全身全霊をこめて主張しているように思える。だからこそ、このバンドはリアルであると思うし、ある種のパワーを有しているのだ。
自分自身の話をすれば、子供を保育所に送りだして、クソ忙しい中なんとか5分くらい時間を作っては公園で一服…死ぬほどうっとうしいけど、これから仕事に行かなければいけない…そんな時、CDウォークマンでこのアルバムをでかい音で聴いたりする。金とコネのある人なら覚醒剤のひとつでも買って一発キメて…ということになるのかもしれないが、もちろんそういうわけにはいかない。そういう場面で聴きたくなる音は、まさにこういう音なのだ。プレスがなんといってようが関係ない。ぼくにはこういう音が必要な場面が、確実にある。それだけのことだ。
ファンにしてみれば、この評を読んで「バカにしてんのか?」と言いたくなるかもしれない。いや、ぼくはこのアルバムに収められている音は、なかなか聴くに値するものだと思う。ナイン・インチ・ネイルズあたりは聴くのに、このバンドは「色物でしょ…?」と敬遠している人がいたら、一度騙されたと思って聴いてみてもいいかもしれない。冗談みたいな見た目に惑わされることなく。…いやむしろ、今の時代のアメリカン・ヘヴィロックを正しく理解するためには、こうした「色物」をこそ聴く必要があるのかもしれない。そんな気にさせられた作品だった。
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chocolate st☆rfish and the hot dog flavored water/limp bizkit
度重なるリリース延期の末、届けられたLimpのサードアルバム。全世界的にすごい売れ行きだそうだ。発売直後に近所のダイエーに買い物に行った際、レコードショップでこのアルバムがすでに売り切れていたのが非常に印象深かった。梅田やナンバなどの都会の輸入CDショップではなく、ごく身近なダイエーの店でキッズがCDを買っていってるのだ。
最近、このバンドを取り巻く状況は騒然としているようだ。メジャーになってファンを獲得していくのと反比例して、ミュージシャンやプレスからはとことん嫌われてきているらしい。特にVo.のフレッド・ダーストに対する反感をよく耳にする。先日の「MTVヴィデオ・ミュージック・アウォード」でも、Limp授賞の際にレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのメンバーが抗議的な行動を起こすという騒ぎがあったばかりだ。これだけ周りからバッシングされるということは、フレッド・ダーストは実際ひどいヤツなのだろう。だけど、例え彼がどれだけ最低のマザー・ファッカーだったとしても、ぼく個人としては特に何とも思わない。ロックミュージシャンはその人間性ではなく、作る音楽によって評価されるべきだというのもあるし、そもそもロックスターに高次の人格を求めてもしょうがないという気もする。とはいえ、こうしたバッシング状態は、バンド自体の性格や音楽性と不可分な関係にあるようにも感じられるし、バンド側も嫌われていることを逆手にとって「肥やし」にしようとしているみたいだ。
さて、これからこのアルバムを論評していくのだが、通り一遍の感想ではつまらないと思うので、少し細かく分析するために収録されている曲をいくつかのグループに分けてみたいと思う。「intro」と「outro」を除いた13曲を、曲の性格から次の4つのグループに分類するが、重複している曲もいくつかある。まずはA群。これはLimpお得意の、ハードコアなギターリフにフレッドの情けな声ラップがからみ、サビでは一気に咆吼!→カタルシス!タイプの曲。本作では前半に固められている。「hot dog」「my generation」「full nelson」。他に「rollin'(air raid vehicle)」と「livin' it up」もこのフィールドに入れておく。次にB群。こちらはラップではなく、主にフレッドが「歌ってる」、メロディー重視の曲群。「my way」「the one」。ラップが入ってるし、かなり感じは違うけど、「getcha groove on」も部分的にはここに入る。「it'll be ok」も歌ってる曲。次は、C群。基本的にはラップであり、サビで盛り上げる構成はA群と同じだが、全体的にダークで内省的な印象を持つ曲群。「take a look around」と「boiler」。歌っているが、曲の性格から言うと「it'll be ok」「my way」もここに入る。で、最後はD群。上記のどのフィールドからも少しはずれた曲。「hold on」と変なバックの「getcha groove on」。「rollin'(urban assault vehicle)」もここに入れる。あと「the one」のバックトラックは明らかに印象が違うので、部分的にここに入る。
まずA群について。これらの曲は、もう言わずもがなの「これこそLimp」というタイプの曲であり、まさにファンがバンドに求めているのはこの手の曲だ。その点、さすがにバンドはよく理解していて、きっちりツボを押さえた作りになっている。ゴリゴリのギターリフ、「f**k」の連発、サビの咆吼ヴォーカル…ライヴでは盛り上がり必至な曲ばかりだ。ただ、一聴した感じでは、前作、前々作を聴いたときのようなインパクトは感じられなかった。何回か聴き続けていくうちにそうした印象は薄くなったが、ややパターン化してきているように感じられるのも事実。耳がこの手の曲に慣れてきているのも原因かもしれない。ただ、こうした曲をこの先もずっとやり続けていくと必然的に飽きられることになるだろうし、バンドとしての成長もない。もちろん、そのことはメンバー自身がよく分かっているだろう。
それは、B群のような「歌う」タイプの曲が、前作、前々作に比べると明らかに増えていることを見ても明らかだろう。音楽的なヴァリエイションを増やそうとしているのがよく分かる。ただ、いかんせんフレッド・ダーストは歌がうまくないし声も細いから、やはり本格的に歌う曲を聴かされるのはつらい。メロディーはけっこういいものが多いだけに、フレッドの歌唱力不足が大きく足を引っ張っていると言わざるをえない。特に「getcha groove on」の前に収録されている短い曲でのヴォーカルはひどい。
ぼくは、本作ではC群タイプの曲がいちばん気に入った。無理に歌わなくても、ラップだけで曲に色んな表情を持たせることは可能だと思うし、ダークで、破壊衝動がひたすら内側へ向かっていくようなこれらの曲は、バンドサウンドの方向性として確固としたものになりつつあるように思う。外側へ放射される分かりやすい爆発感ではなく、地中深くで人知れず起こっている核爆発のような…。特に「take a look around」は、映画「M:I-2」のテーマソングであり、例のフレイズが使われていることとは無関係に、「名曲」(あえてこういう言い方をするが)だと思う。サビでは思わず体が動いてしまう。このカタルシスはすごい。
最後にD群について。「hold on」はLimpの曲としては明らかに異質で、ちょっと確認できないけど、ヴォーカルがどうもフレッドの声とは違うような気もする。メロディー、曲の雰囲気、イメージ喚起力、いずれもいい。佳曲だと言える。ただ、あまりに異質すぎて、これではLimpの曲とは言えないくらいの印象さえ持つ。DJリーサルのプレイが前面に出た「getcha groove on」「rollin'(urban assault vehicle)」の2曲について。ぼくは思うのだが、Limpのようなきっちりした「バンド」に、DJがメンバーとして加わってやっていくスタイルは、かなりむつかしい。どう考えても皿を回して出す音より、ギターやベース、ドラムスの出す音の方がでかくて迫力があって負けてしまうし、けっきょくサビの時にバックでキュコキュコ言ってるだけ、という状況になってしまう。だけど、DJの入ったスタイルでこれだけメジャーになったバンドはLimpが初めてなのだし(古くは「アーバン・ダンス・スクウォッド」なんていうバンドがあった)、DJリーサルにはもっと活躍してほしいし、もっと大きな役割を負うようになってほしい。ただ、上記の2曲はアルバムの中では少し「浮いてる」感じだし、「バンドサウンド」と「DJプレイ」がはっきり分かれてしまったら、一緒にやっている意味があまりないような気もするのだ。今後に期待したい。「the one」のバックトラックはすごく気に入った。こういう、少し力の抜けた曲をもっとやってもいいのでは、という気もするが。
買ってから何度も聴いているのだが、いまだにこのアルバムのかっちりした印象が固まっていないような感じがする。確かにヴァラエティに富んでいるし、盛り上がれる曲も多い。だけど、色んな試みもけっきょく表面的なもので、中身は何もないのでは?という気さえする。本作は桁違いに売れているらしいが、それだけ売れるということは、「何も考えてないヤツが踊らされて買ってる」ということも意味するわけで。しかし一方で、「いや、バンドもある程度成長を遂げているみたいだし、なかなかいいアルバムだ」という気持ちもある。正直よく分からないのだ。2001年初頭には来日するらしいので、もしチケットが取れれば足を運んでみようかと思っている。実際にステージを見れば何か分かるのかもしれない。
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Disc Reviews
Relationship Of Command/At The Drive-In
プロデュースはロス・ロビンソン。あまり詳しくなくて申し訳ないのだが、コーンやリンプ・ビズキットをプロデュースした人らしい。このアルバムでも、随所に「最近のヘヴィネス」が顔を出している。しかし、このバンドの音楽的本領は、そうした今般多く見られるようなグルーヴィーなヘヴィロックではなく、あくまでストレートなロックンロールだと言える。ぼくなどは日々耳がオヤジ化していってるので、「ガレージ」などというありふれた言葉しか浮かばないが、昔流行った「ガレージロック」とはまた違い、もっと骨太で混沌とした音世界を提示しているように見られる。これより以前の作品は聴いていないのだが、本作はロス・ロビンソンの起用によって、重量感とスカスカしたガレージ的感覚とのバランスがうまく保たれているのではないか、と感じる。音程無視のヴォーカル、チープなギターサウンドなど、一見マイナスに見える要素を逆にプラスに転じさせるような、「カッコ悪いカッコよさ」にあふれている。その辺が、このバンドの最大の魅力ではないか。
それにしてもこの疾走感はすごい。全力疾走で走り続け、石にけつまづいて転んで、倒れてるのにまだ足をバタバタ動かし続けてる、そんなイメージだ。
演奏も歌も、けっしてうまいわけではない。だけど、人を無理矢理にでも納得させてしまいかねない勢いがある。今夏のサマーソニックに出演していたのでライヴ映像を見ることができたが、まさにアルバムの音そのままの、激しいステージングだった。本当に「言いたいことは山ほどある」のが伝わってくるような、熱の入ったパフォーマンスだった。
音楽も大事だが、ぼくはこのバンドのヴィジュアルがけっこう好きだ。アフロヘア、タトゥー、独特のファッション…。RHCPを好きになったときも音楽だけでなく、そのスタイルや、バンドメンバー間でのみ通じる独特のユーモア感覚といったものを好きになった。人は、なにか「自分とは違う」ものに惹かれる傾向があると思うし、At The Drive-Inが提示するこうしたスタイルも、多くのファンを引きつける重要な要素になっているはずだ。
このバンドの難点としては、やや曲調が一本調子に過ぎる点があげられると思う。プロデューサーもその辺は意識していたようで、様々なアプローチを試みて、アルバム全体が単調になるのを回避しようとしている。それでもやはり、1枚聴き終わるとかなり疲れてしまう。もっとも、初期のうちから欲張りすぎて、あまりバラエティに富んだ音楽性を追求しても仕方がない気がするし、「これがATDIのサウンドだ」というのをはっきり打ち出す必要があるとも言えるので、こうした批判は当たらないかもしれない。ただ、個人的には少し毛色の違う「invalid litter dept.」といった曲をすごくいいと思ったので、こういった引き出しをもう少し見せてくれてもよかったかな、という気はする。
ぼく個人の好みからいうと「これは!」というほどの衝撃はなかったし、客観的に見ても特に目新しいことをやってるわけではない。しかし、この作品のクオリティが高いことは間違いないし、いいアルバムだとも思う。これから先、彼らがシーンの中心的存在となっていくことは間違いないだろう。今後も楽しみに見守っていきたいと思う。
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Disc Reviews
Psycotic Friends Nuttwerx/Fishbone and The Familyhood Nextperience
大幅なメンバーチェンジを経てリリースされたフィッシュボーンのニューアルバム。オリジナルメンバーはボーカル/サックスのアンジェロ・ムーア、トランペット/ボーカルのウォルター(ぼくはウォルターの「合いの手」がすごく好きだ)、ベースのノーウッド・フィッシャーだけになってしまった。このバンドには以前から「バンドとしての結束の強さ」を感じていたから、メンバー脱退のニュースを聞いたときはかなり意外に感じた。
このアルバムを購入しにショップへ出かけてみたが、フィッシュボーンのコーナーには、この新作の他にベスト盤が2枚ほど置いてある程度だった。RHCPなんかと同時期に活動を始め、一貫して高い音楽性を保って活動したきた彼らの扱いとしてはいかにも不当だ。まあ、「売れてないのだからしょうがない」のかもしれないが、現在の「ミクスチャー系」や日本の「スカコア」と呼ばれる連中に与えた影響など、計り知れないものがある。せめてもう少しアルバムを置いていてくれてもよさそうなもんじゃないか。
ぼくは「はじめに」にも書いたようにまったくロックを聴かないブランクの時期が数年間あったのだが、確か「Give a Monkey a Brain and He'll Swear He's the Center of the Universe」まではフォローしていたと思うので、その後リリースされた「フィッシュボーンの逆襲」というアルバムのみ聴いていないことになる。「Reality of My Soroundings」などではかなりハードな表現をとっていたが、本作で聴けるのは全体的にゆったりとしたサウンドで、彼らの持つパンクな面はやや抑えられ、どちらかというとレゲエ、R&Bなどのブラックミュージックの要素が前面に出ている感じだ。もちろんパンキーな曲やスカのナンバーも収録されているが、耳に残るのはスロー、ミドルテンポの「なごむ」曲群ばかりなのだ。
本作が発表されてすぐの「クロス・ビート」誌のインタビューで、アンジェロは、「ごちゃまぜ」具合ではRHCPなどより過激なスタイルをとる彼らが、はるかに売れていない最大の理由は、彼らが黒人のバンドだからだ、と発言していた。今までそういう風に考えたことはなかったので少し意外な気がしたのだが、確かにそれはあるだろう。人種差別は歴然と存在する。長く活動を続けているフィッシュボーンのようなバンドでさえ、こうしたロックのリスナーのうち、圧倒的多数を占める白人層にはなかなか簡単には受け入れられないのだ。その点が、R&Bやヒップホップではなく、ロックという「白人の」フィールドで勝負する彼らのむつかしさなのだといえる。
売れない理由のもうひとつは、まさに彼らの音楽性そのものにあるといえる。スカ、パンクをはじめとしてファンク、レゲエ、R&Bなどの黒人音楽など様々な要素を消化してごちゃまぜにしてみせる彼ら独特のスタイルは、逆に言えばリスナーからは「つかみどころがない」と感じてしまうのかもしれない。いくらボーダーレスだ、ミクスチャーだといっても、シーンはまだまだ保守的で、分かりやすい「ロック」しか受け付けない体質なのだろう。本作の出来はすばらしいが、売れるか売れないかといえば売れないだろう、悲しいけれど。これを受け入れられないというのは、逆にリスナーであるぼくらの質が問われることを意味しているのかもしれない。
一度でも彼らのライヴを見たことのある人なら、「もう一度見たい」と思うだろう。それくらいフィッシュボーンのライヴはすばらしい。一人として盛り上げずにはおかないというサービス精神にあふれたステージだ。彼らが出演するらしいフジロックには行けないけれど、今度大阪に来るときには何をさしおいてでも駆けつけようと思ってる。そして、このすばらしいバンドに、いつまでも意味のある音楽をやりつづけてほしいと真に願っている。
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