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Performances(パフォーマンス)

 RHCPには派手なパフォーマンスがつきものだ。初期の、ペニスにソックスをかぶせただけの「ソックス・オン・コックス」、94年のウッドストックでの「電球ヘッド」、など、挙げ出したらきりがないし、写真でも必ずといっていいほど、顔を作り、変な格好をして、いわゆる「関西仕事」に徹することが多い。まあ、「BSSM」以降はバンドの雰囲気がシリアスになってきていて、派手にやらかすことは少なくなってきているが(と思っていたら99年ウッドストックでのフリーの全裸だ。やはりRHCPは普通のバンドじゃない。まあ、あれはできれば全員やってほしかったが)。

 これ以外にも、ショウでペニスを露出して逮捕されたり、といったことがかつてあったし、こういうのも「パフォーマンス」の一種といえるかもしれない。

 普通実力のあるロックバンドはこういうことはまずやらない。なぜなら、パフォーマンスをやることで、バンドに対して簡単に「色物」、「コミックバンド」というレッテルが貼られることが多いし、いくら内容のある、まっとうな音楽をやっていても正当に評価されないという危険性が伴うからだ。現に、いまだにRHCPには「変態」バンドというイメージがついてまわってるし(レンタルショップTSUTAYAの「音楽数珠繋ぎ」での紹介コメント=「L.A.の変態ファンクバンド」…いまだにそれかよ)、初期の段階から高い音楽性を保ちながらも、日本の「Rockin' On」といった雑誌では、(ぼくの印象では、だが)最近になるまでまともな記事さえ書いてもらえなかったという事実がある。

 しかし、バンドはあえて、そうした危険性を伴うパフォーマンスをやり続けてきたし、その姿勢は根本的に今も変わっていないように思える。そこで、「なぜわざわざそんなことをする必要があるんだ?」とあなたは思うかもしれない。だけど、ぼくは逆に聞きたい、「なぜパフォーマンスのひとつもやらかさないバンド/アーティストに満足できるんだ?」と。

 ある種のロックミュージシャンにありがちな、「メッセージ性」「真摯な態度」「自然体」といったイメージ。これらがメディアを通して伝えられる時、そこには常にうさんくささ、うそくささがつきまとう。逆にアホなパフォーマンスをやらかすバンド/アーティストの方が信用できる気がする。

 ロックにはもともとフリーキーでクレイジーな一面があるし、くそいまいましい日常に囚われているぼくらに、少しだけ「向こう側」の世界を垣間見せてくれる瞬間であって、それこそロックの醍醐味じゃないかと、ぼくは思ってしまう。

 だから、パフォーマンスをやるRHCPを、けっして「色物」だとはぼくは見ない。ロック自体が、もともと「色物」的要素を含んでいる訳だから。RHCPのやってることは、あくまでも「正統的」ロックアーティストとしての表現形態の一面だ、ととらえているし、一連のパフォーマンスもすべて、彼らなりのファンキネス(=ファンクであること)表現の一環だ、と考えている。

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Innocence(無垢)

 ファンではない、一般のロックファンの、昔のRHCPに対するイメージ(いや、今もかな)というのは、「変態」「マッチョ」「下品」というのが相場だったろうと思う。そうした方からすると意外に思われるかもしれないが、ぼくは初期の段階からRHCPに、非常に「無垢」な一面を感じ取っていた。彼らの歌詞や発言に、「傷つきやすさ」や「ナイーブさ」といったものが表れているように感じたからだ。

 おそらく彼らがどんなにすばらしい音楽をやっていたとしても、彼らが「おれ達が一番だぜ」というような、ステロタイプなロッカーイメージしか持ち合わせていなかったとしたら、これほどファンにはならなかったと思うのだ(もちろん、そういう歌詞もあるし、マッチョな一面があることは否定しない)。

 いちばん最初に「The Uplift Mofo Party Plan」を聴いたとき、その中の「Behind The Sun」が引っかかった。ニューオリンズの空港でテープを繰り返し聞いていた時点のRHCPに対するイメージは、多分に「頭がおかしい、いかれてる」というものだったから、この曲もただ単にふざけてやってると思ったのだ。でも後によく歌詞などを調べてみると、どうも真剣なようだし、やはりこの曲自体メロディーも歌詞も「美しい」のだ。クレイジーなだけのバンドにこんな曲は書けないだろう、という結論に達した。

 彼らの「イノセンス」「ナイーヴィティ」が現れた曲は、他にも多いが、こうしたイノセンスは、彼らが体現する「西海岸文化」の感覚に特徴的だという気がする。

 一方、彼らのナイーヴさ、イノセントな面は彼らの「弱さ」でもあるわけで、自分たちの抱えた「弱さ」に耐えきれず、ドラッグに耽溺してしまったりするのかな、という風に考えたりする。

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Sexuality(セクシャリティ)

 ご存じのようにRHCPにはセックスのことを歌った歌が多い。初期には「Sex Rap」(そのままやんけ)や「Special Secret Song」といったあまりにもあからさまなセックスの歌を演奏していたし、メンバー、特にアンソニーは発言からも「女たらし」ぶりが伺える。…なんというかRHCPほど「おおらか」に、「奔放に」セックスのことを歌うバンドは他にはないだろう、という気がしてる。

 セックスの歌を多く歌っているからといって、女性を「セックスの対象」としてだけ見ている、という訳ではないと思う。アルバム「Blood Sugar Sex Magik」のタイトルチューンでは、Every woman has a piece of Aphrodite.(すべての女性はアフロディーテ(愛と美の女神)の一部を備えている)と歌われる。ここには、ある種の「女性崇拝」とでもいうべき一面が見て取れるように思う。

 「Woodstock '99」では、衣服を脱ぎ捨て、胸を露わにするおねえちゃん達が続出したのだが、それに対して痴漢行為をするヤツが多くて、テレビで見ていても不快だった。RHCPのステージで、フリーが「お前ら、女の子がオッパイ出してるからって、触ったりするんじゃないぞ。オッパイは女性の象徴だ、オッパイに敬意を払え」と注意する一幕があった。こういうところからも、彼らはその歌の内容とはうらはらに、かなり紳士なんだろうな、と思うのだが。

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Hollywood,California(ハリウッド、カリフォルニア)

 RHCPは、L.A.のハリウッド出身のバンドだ。彼らは、歌の中で何度もL.A.やハリウッドのことを歌っている。「Freaky Styley」の「Hollywood(Africa)」はもちろん、「True Men Don't Kill Coyotes」「Out In L.A.」「Organic Anti-Beat Box Band」「Good Time Boys」など、L.A.やハリウッドに言及している曲は多いし、「Californication」ではアルバム自体のテーマになっている。

 もともとライヴを重ねて評価を得てきたバンドだけに、初期の時点で支持してくれた地元に対する愛着、想いは人一倍強いのだろうが、このバンドの表現するハリウッド、カリフォルニアの姿はとても興味深いもので、そこにはひとつのストーリーが浮かび上がってくるように思う。

 「はじめに」で書いた「宝島」誌の「L.A.特集」の最初のページにはイーグルスの有名な曲「ホテル・カリフォルニア」の歌詞が紹介されていた。確かバーで、バーテンか誰かが「ここには、スピリッツ(精神。ここでは、酒のスピリッツとかけている)はないんだ」とつぶやく、というような詩だったと思う。西海岸は、60年代にサンフランシスコがヒッピー文化を生み出したりしたが、70年代の脳天気な長髪ハードロッカーの狂騒の後、完全に死んだと思われていたのだ、音楽的にも、文化的にも。件の曲の有名なジャケット写真 ? L.A.のセンチメンタルな夕焼けに浮かぶ「ホテル・カリフォルニア」の姿 ? をバックにひいた叙情的な文章の後、次のページをめくるとRHCPやスケボーやスーサイダル・テンデンシーズやらの写真がゴチャゴチャとコラージュされており、そこには、そうだ、「西海岸の逆襲」とぶっとい字でタイトルがふられていたのだ、確か。そういう心憎い演出が施されていた。思えばぼくの中でのRHCPとカリフォルニアのストーリーは、あのページをめくった瞬間に始まっていたのだ。

 まさにRHCPの闘いは、「逆襲」といった感じだった。「死んだ」と思われていた西海岸は、まだまだくたばってなんかいない、おれ達はハリウッドのキッズを代表してるんだ、おれ達こそ西海岸で一番、西海岸はおれ達のものだ…。勢いまくるRHCPが提示したのは、新しい西海岸文化のセンス、リアリティだった。ニューヨークほど暗くはないが、かといって昔の長髪ハードロッカーほど薄っぺらくもない。表面的には明るくておバカだが、相当屈折しているし、その内側に抱えた苦悩も相当なものだ。RHCPこそ、まさに西海岸文化をそのまま体現していたバンドといえるのではないだろうか。

 彼らはその西海岸を背負って立ち、西海岸から闘いを挑んだ。体を鍛え、ファンクで武装し、タトゥーで自らの肉体をフリーク化して…。

 「西海岸文化」とはどんなものだろうか。それは、他の地域や、アメリカ全体の文化とも違う。ハリウッドは、いうまでもなく映画産業の中心地なのだが(実際アンソニーやフリーは俳優としても相当活躍している)、映画メディアの存在が、西海岸文化を、東海岸やその他のそれと区別しているのだろうと思う。ぼくの西海岸文化の印象は、こんな感じだ。ナイーブで傷つきやすい一面を持つが、その一方で非常に下世話で狡猾(自殺したロックスターの遺書を、Tシャツにプリントして売ってしまうような)。純粋だけどクレイジー…。そんな相反する二面性を持つところが特徴的だと感じる。「ハードコアなソフトポルノ」。そして、それはRHCPに対して持つ印象と似ているのだ。

 アルバム「Californication」では、RHCPが、彼ら自身が体現したこの西海岸文化に負けてしまう様が描かれている。「Purple Stain」でちょっとだらけた感じで歌われるこんな歌詞に引っかかる。Knock on wood we all stay good. 'Cause we all live in Hollywood(木を叩いてオマジナイ おれ達みんな大丈夫 だっておれ達、ハリウッドに住んでるから)。ちっとも大丈夫じゃないのだ、きっと。全世界に伝播される恐ろしい西海岸文化(=Californication)の、まさに発信地、まっただ中にいるのだから。かの地から発信され、メディアを通じて伝えられるこの波は、もちろんアメリカだけでなく、ぼくらの周りにも浸透しているはずだ。

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Foolishness(おバカ)

 「The Uplift Mofo Party Plan」に収められている「Fight Like A Brave」。あの曲のヴィデオクリップを見たことがあるだろうか。ぼくはRHCPのクリップの中で、今でもあれがいちばん好きな気がする。

 議会の委員会のようなところで堅物のお偉方に説教したり、インディアンと一緒に踊り狂ったりする楽しいビデオで、メンバーの、かなり「素」の顔が見られるし、あの頃のRHCPの雰囲気がかいま見られてすごく好きなのだ。

 この頃はさすがになくなったが、初期のRHCPには確かに「おバカ」なイメージがあったし、ぼくがこのバンドを好きになった最大の理由のひとつでもある。一時パール・ジャムに在籍していたらしい、元ドラマーのジャック・アイアンズ。彼のキャラクターもすごく好きだった。もちろん本当は違うのだが、見た目はいかにも「頭の悪い白人」という感じで、以前バンドが出てた何かの番組で、彼が象の鼻のような形状のおもちゃを鼻につけて、他のメンバーが話している間中後ろでずーっとその鼻をぶらぶらぶら…と振っているのだ。死ぬほどおかしかった。キャラ的に、彼がバンドを離れてしまったのは実に惜しい。

 これもブートで見たのだが、ドイツの音楽番組にバンドが出演した時のこと、ヒレルがインタヴューに答えているうちに興奮してきて、机をバンバンと握り拳で叩きながら、ドイツ風のイントネーションを真似て熱弁し出した。すると他のメンバーもいっせいにバンバン…と机を叩き出すのだ。ぼくはバンドのこういうところがすごく好きだ。

 彼らがこのような「おバカ」を演じるとき、そこには常に「自己批判」の姿勢が見てとれるように思う。白人至上主義への批判、ネイティヴアメリカンへの憧憬などから考えるに、「おバカ」な白人を演じきることによって自己に対する嫌悪感を吐露する、といった作用があったように思える。彼らはよく裸になったが、はっきりいって白人のケツは黒人のそれと違って、カッコ悪い。彼らがステージで裸になり、自らの白いケツをさらして一種の変態フリークショウとして提示するとき、それは複雑にねじくれた彼らの自己嫌悪感の表出だととらえることができるのだ。

 しかし、違う見方をすればこうした彼らの自己嫌悪感の表出は、自らを守るため緻密に計算された「戦法」と言えなくもない。そして、それはかなりスマートで強力な戦法だったと言える。「おバカ」も、初期RHCPが色んな手法を通じて行った(行わざるを得なかった)「武装」の一環だったととらえることができるのではないだろうか。

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Drug(ドラッグ)

本当はこんなキーワードでなんて書きたくなかった。しかし、RHCPの陰にはいつもドラッグの問題がついてまわっていた。

いうまでもなく、彼らはヒレルやリバー・フェニックスといった、自分たちにとって大切な人間を何度かドラッグで失っている。ヒレルが死んだときのことを、アンソニーは「おれが死んでても不思議じゃなかった」と話していたし、ジョンが日本公演中に辞めてしまったときも、相当薬物の影響下にあったという話も聞いている。バンドを離れていた間のジョンのソロは、ヤクを買う金をかせぐために制作した、とジョン自身が告白している。

 ヴィデオ「Funky Monks」で見られるように、アルバム「Blood Sugar Sex Magik」からのシングル「Under The Bridge」では、アンソニーのドラッグ体験のことが歌われている。

I don't ever want to feel like I did that day.
Take me to the place I love. Take me all the way.
(もうあの日のようには感じたくない
 連れてってくれ、おれの愛する場所へ)

ここで「愛する場所」とは、ドラッグとは「キレた」、その時点でのアンソニーの生活だ。

 ぼくとしては、「メンバー全員ドラッグとはキレて、『BSSM』で新たな出発」というストーリーを思い描いてしまったのだが、けっきょくジョンがクスリに溺れてしまい、バンドを辞める、という事態に至ってしまう。やっぱりクスリをやめるのは難しいことなんだろうか、などと一人考えたりしていた。

 キーワードの「Funk, Freak」で触れたが、「Sir Psyco Sexy」の歌詞、「ファンクがおれをフリークにしてくれるよう、祈る」という述懐も、「弱い自分を克服したい」という気持ちの表れなのだとしたら、ドラッグに走ってしまう彼らの心情というのも理解できるかな、という気はする。彼らだけではない、人間誰でも弱いものだ。

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Funk,Freak(ファンク、フリーク)

 ファンクであること、つまりファンキネスの表現は、いうまでもなくRHCPにとって重要なタームのひとつだ。それはデヴューから現在まで、基本的にはまったく変わってない、といえる。彼らにとってのファンクは、単に音楽の一形態であることを越え、「The Uplift Mofo Party Plan」の「Funky Crime」で歌われているように、まさに彼らの生き方そのものにまでなっている。ところで、「Funky Crime」には、いわば「God Monster of Funk」とでも呼ぶべきキャラクターが登場している。曲の冒頭に、電話の声で「Do it!」と告げているのがそれだ。このキャラクターは、「Mother's Milk」の「Nobody Weird Like Me」にも登場するし、デモバージョンの「Green Heaven」にも出てくる。「Blood Sugar Sex Magik」では「Sir Psycho Sexy」という名前のキャラになって、曲の中に現れている。頻繁に登場するこのキャラクターは、RHCPにとってどういう存在なのだろうか。

 一時期黒人のメンバーが在籍していたこともあるが、RHCPはデビューから現在まで、総体的には「白人の」バンドであったといえる。白人である彼らが黒人音楽のファンクをやることは、ぼくらが考えるほど簡単なことではなかったのかもしれない。コアな黒人音楽ファンから見れば「あんなのファンクじゃない」ということになるし、彼らの音楽は、白人によるエイトビートの「ノーマルな」ロックとは明らかに違う。いわば非常に中途半端な位置に置かれていたのだといえるし、白人である彼らにとって、本当のファンキネスを体現することは相当困難な闘いだったのだと思う。音楽の一形態である「ファンク」をやることは、おそらくどんなバンドにもできるだろう。しかし、RHCPがファンクに求めたのはそんな表層的なものではなく、自らの存在自体をも吹き飛ばしてしまうほどの強烈なパワーだったのだと思う。そのために、「The Uplift Mofo Party Plan」のレヴューで述べたように、先述のキャラクター「God Monster of Funk」に自らの身も、魂をも売り渡してしまう必要があったのだといえる。そこまでしなければ、白人の彼らが本当の意味で「ファンキー」であることはできなかったのだ。

 ファンクの「神」は一般的な宗教のそれとは違って、いわば「化け物」「フリーク」であり、どろどろとした魑魅魍魎の世界の支配者だ。しかし、「Sir Psycho Sexy」で歌っているように、彼らはそんな「化け物」をこよなく愛する。He's a Freak of Nature but we love him so. He's a Freak of Nature but we let him go.そして、彼ら自身もファンクを通してフリーク化すること、それが究極の願望なのだといえる。I pray the Funk will make me freak.(ファンクがおれをフリークにしてくれるよう、祈る)バンドメンバーの全身に施されたタトゥーも、自らの肉体をフリークに変容させるイメージとしてとらえることができる。

 ロックとフリークとの関係に目を向けてみたい。ぼくはロックは本質的に「サイド・ショウ」(見せ物小屋)だと思っている。そう、映画「フリークス」で描かれているような、あの世界だ。「日常」に取り込まれて、あくせくもがいているぼくらに、「異形」のものであるパフォーマーが「非日常」の世界を垣間見せてくれる瞬間であり、ロックのその部分にこそ強く惹かれてしまう。ぼくが「ロック」という言葉に期待するのはそうしたフリーキーな一面で、映画版「ツイン・ピークス」で車のフロントグラスに「Let's Rock」と書かれていた、あの感じに近いと思っている。

 TシャツにGパン姿で等身大の自分を歌うミュージシャンもいいだろうが、やはりロックには常人には理解できないようなフリーキーな部分がなければ、と思ってしまう。RHCPは「フリーキーさ」という点であらゆるロックバンドと比べてみても最も優れていると思うのだ。

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