(社説)障害者郵便悪用 どこまで広がる不正の根 – 山陽新聞ニュース
この障害者郵便悪用も、今になって急に増えた訳ではなく、昔から慣行的になんとなく認められていた事だったんじゃないかと想像します。「不正だ」と上から目線で批判するメディアに乗せられるのではなく、今、こうした事が急速に問題視されてきている理由を考えた方がいいのではないかと思います。
以下は根拠なく、ただ「そういう気がする」というだけの話ですが、個人であろうと組織であろうと、「説明責任」を徹底的に問われる世の中になってきているのではないか、と。「上から言われた」とか「なんとなくそう決まっているから」という理由だけで物事を進める事が、非常にリスキーになってきていると思うのです。きちんと説明できない人は叩かれる。色んなレベルで叩かれる。昔は認められた事が、認められなくなる。ルールが変わりつつあるように思うのです。
「私の使命はこうである、価値観はこうである」という基本を常に意識していて、それに従って行動する人でないと、これからは様々な方法で暴かれるんじゃないか。逆に言うとこれからは自分なりのミッションやバリューを持っている事で、様々な問題に対処できるヒントを掴めるんじゃないか。どんなパワーを持っているか、というのはあまり問題じゃないように思う。
こうしたミッションやバリューを有していない人や組織は、「あなたはなぜそれをやっているのか」「なぜその時、正しい事をしなかったのか」といった事を(事後的に)、今後徹底的に糾弾される可能性を考慮に入れて行動した方がいいのではないか、なんとなくそう思います。そうでない人や組織は、いったいどんなルールで物事が進んでいるのか、よく分からないままに翻弄されるんじゃないでしょうか。