サイトを運営し始めてから、もう9年くらいたちますが、長い間普通におつき合いさせてもらってるにもかかわらず、まだ一度もお会いした事がない人がけっこういらっしゃいます。そういう人とは基本的にテキストのみでコミュニケーションしているんだなぁと思うことが最近あって、その辺を考えてみたいと思うわけです。
テレコミュニケーションの形態を考えてみるに、テレビ電話システムとか、ヴァーチャルなアバターを利用したSecond Lifeなどというサービスも一時流行るかと言われもしたんですが、いずれも日常的に利用されるほど普及しているとは言い難い。やっぱり機器を買いそろえたり、高スペックのPC環境を揃えたりするの、めんどいじゃん、と。結果、私がサイトを運営し始めた時と変わらず、圧倒的多数のネット・コミュニケーションがテキストで行われているという状況がある訳ですね。
で、個人的には、このテキストベースのコミュニケーションが非常に心地よいと感じるんです。嫁なんかは、最近ブログを始めたみたいですが、「文章だけだときちんと思いが伝えられない、会って話すのがいちばんだ」という考えみたいです。けど私に関しては、会って話すのも悪くないけど、文章すなわちテキストでのコミュニケーション要素がないと、逆に不安に思うくらいに感じています。
なんというか、ある人物Aさんがいるとして、「会って話す印象」と「テキストから受ける印象」の両方が揃って初めて、その人のパーソナリティを理解できるんじゃないか、と感じることが多いんです。中年サラリーマンが絵文字連打とか、ゆるふわガールが絵文字いっさいなしの事務的文章とか、そういう意外性を感じるケースがけっこうあると思うんですが、テキストキャラとリアルキャラの乖離という現象は確実にあると見ていいでしょう。
そうなると、リアルで会って話すだけで、その人の個性を理解したと考えるのは、少し危険なことなのかもしれない。実際、私が誰かの文章…ブログやメールを読むときは、無意識にその人のテキスト個性…すなわち、行間をあけるかあけないか、絵文字の配分、感嘆符の有無、ネガティヴかポジティヴか、素っ気ないか丁寧か、といったあたりを感じ取るようにしているんですね。そうやって理解したテキスト個性は、後に実際に会って確かめても、はずれることはまずない。これは長年の経験の蓄積がありますから、けっこう確信を持って言えます。もちろん、自分の文章もできるだけ客観的に観察するようにしています。
リアルとテキストが揃って初めて、その人の個性が立体的に捉えられるのではないか、そして、これからの社会ではそうした立体的な相互理解が必要になってくるのではないかと感じています。