「なぜやらないか」に理由はいらない
ある人が何かにとても真剣に取り組んでいたとします。その人をAさんとしましょう。Aさんは取り組んでいる対象をすごく気に入っており、あなたにも勧めてきます。それはとても意義のある事で、やりがいも感じられるようなすばらしい事なんですね。
「どうですか、○○さん。一緒にやりましょうよ」
あなたは内心複雑な感情を抱きながらこう答えます。
「いやぁ…ちょっと…」
するとAさんはさも驚いた顔をしてこう言うんです。
「なぜ?なぜやらないんですか?」
あなたはちょっと困った立場になっている自分に気づいてびっくりします。それをやらない強い理由が、本当に見あたらないからです!かといってそれをやるかと言われても特にやりたいとも思わない…うーむ困った。こういう事ってよくありますよね?セールス・トークとか、あるいは警察の職務質問なんかで「やましいところがないなら、所持品を調べてもいいはずでしょう」なんて言い方をされた事もあります私。
でもね、「それをやらない理由」は説明する必要がないし、「やましくない証明」もしなくていいと思うんです。だって世間には取り組み甲斐のある素晴らしいものごとが五万とあふれている訳ですよ。やらない理由を言い出したら、それらすべてについて同じように説明しなきゃいけないはずで、でもそれは不可能です。だから説明する必要はないはずなんですね。「なぜやらないの?」と聞かれたら「理由はないし、説明する必要もない」と答えましょう。うん。
「やましいところが…」の話もそうで「やましくない」事をやましくない人が説明しながら歩いて廻る義務はない訳ですよ。だから「やましくないけど、それを証明する必要もない。やましい事を証明するのはそっちだ」とでも言ってやればいいのです。
てな事をふと思ったりしました。
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