Archives for category: 考え

ある人が何かにとても真剣に取り組んでいたとします。その人をAさんとしましょう。Aさんは取り組んでいる対象をすごく気に入っており、あなたにも勧めてきます。それはとても意義のある事で、やりがいも感じられるようなすばらしい事なんですね。

「どうですか、○○さん。一緒にやりましょうよ」

あなたは内心複雑な感情を抱きながらこう答えます。
「いやぁ…ちょっと…」

するとAさんはさも驚いた顔をしてこう言うんです。
「なぜ?なぜやらないんですか?」

あなたはちょっと困った立場になっている自分に気づいてびっくりします。それをやらない強い理由が、本当に見あたらないからです!かといってそれをやるかと言われても特にやりたいとも思わない…うーむ困った。こういう事ってよくありますよね?セールス・トークとか、あるいは警察の職務質問なんかで「やましいところがないなら、所持品を調べてもいいはずでしょう」なんて言い方をされた事もあります私。

でもね、「それをやらない理由」は説明する必要がないし、「やましくない証明」もしなくていいと思うんです。だって世間には取り組み甲斐のある素晴らしいものごとが五万とあふれている訳ですよ。やらない理由を言い出したら、それらすべてについて同じように説明しなきゃいけないはずで、でもそれは不可能です。だから説明する必要はないはずなんですね。「なぜやらないの?」と聞かれたら「理由はないし、説明する必要もない」と答えましょう。うん。

「やましいところが…」の話もそうで「やましくない」事をやましくない人が説明しながら歩いて廻る義務はない訳ですよ。だから「やましくないけど、それを証明する必要もない。やましい事を証明するのはそっちだ」とでも言ってやればいいのです。

てな事をふと思ったりしました。

食品に始まって様々な偽装問題が露呈しています。テレビ等のマスメディアでは「日本人のモラルが低下してるのではないか」という論調が占めていますよね。だけど本当にそうでしょうか。

「昔は企業のモラルが高く、最近は低下してきている」なんて証明できないでしょうし、感覚的にもまったくそうは思えないんです。早い話偽装なんて昔からやっていたんじゃないでしょうか。じゃあなぜ最近になってこういう事例が問題化されるようになってきたかというと、ひとつは

  • 企業が働いている人を守らなくなった

っていうのはあるんじゃないでしょうか。バブル後の不況で業績の悪くなった企業はどんどん首を切って「いざとなれば終身雇用なんて言ってられないんですよ。あなた達を守ったりしませんよ」というシグナリングを行いましたよね。だから働いている人が内部告発を行うようになったんじゃないでしょうか。それに加えて

  • ネットワーク化のおかげで企業を客観的に見られるようになった

って事も大きいんじゃないでしょうか。昔なら働いている人同士は切り離されていて情報交換は難しかったですし、単に働いている会社を盲信する以外道はなかった。けれどネットが発達してから、悪い面いい面含めて自分の働いている会社を客観的に見られるようになってきたとう面はあるんじゃないでしょうか。

「知識資本主義」と言われるように、個人が力を持ちつつあるし、この傾向は今後ますます深まっていくでしょう。今は変化している途中でしかないんだと思います。今、「個人が力を持つ」空気を敏感に嗅ぎ取ったマスメディアは尻馬に乗った形で企業を攻撃していますが、マスメディア自身が信用されていないですから、いずれ大規模に攻撃される事になるでしょうね。

日本人のモラル低下が叫ばれる裏には、こういう潮流がある事を抑えておくべきではないでしょうか。

間違えるのは誰でも怖い。でも間違いを100%なくすことは不可能だろう。

ある程度毎日ブログやらを読んでいると、例えば「こんな記事を書いたらこんなツッコミはいるんじゃないかな」とか「この分野について文句言えば、聞いたこともないようなこの分野の専門家が出てきて思いっきりdisられるんじゃないかな」などと、ある程度推察ができてしまうというか、書く前から分かってしまうように感じていて、書いてみるとじっさいその通りになったりするから実に恐ろしい。

まあ実に世界は広いのですよ。ネットが普及して、それまで「世界は広い」って言葉だけで分かったような気になっていたのが本当の広さの端っこが垣間見られるような事態になってきて、ガクガクと震えるような気分になる。どれだけ底なしなんだよ世界!と。

でも。「『みんなの意見』は案外正しい」によると群衆の叡智を成立させる条件のひとつに「身の回りのローカルな情報を元に意見を言う」というのがあったと思うが、そういう事なのである。表出する意見が間違っていると前もって分かっていても、あえて発言した方がいいのである。それが間違っていて「その道の専門家」からぼろくそに叩かれたとしても、そのプロセスを通じて「正しい知識に辿り着いた」という功績は残せるのだから。あるいは、専門家とて色んなツッコミをされると案外ロジックがもろかったりもするし、そうなると「あなたの意見」と「専門家の意見」の対立した二つの見方があるんだな、という見方を提供できるかもしれない。いずれにせよ発言しないよりは発言した方がいいに決まっている。例え間違っていても。

「みんなの意見」は案外正しい
ジェームズ・スロウィッキー 小高 尚子
角川書店 (2006/01/31)
売り上げランキング: 4866
蒼天航路 (10)
蒼天航路 (10)
posted with amazlet on 08.02.25
王欣太 李 学仁
講談社 (1997/11)

「蒼天航路」を読んでいますが、非常に刺激を受けますね。荀彧が袁術を倒した際、四将軍と大義問答をするんですが、

「あなた方が擁する袁術殿はいったい何を大義とし、いかなる天命のもとに天子を名乗られたのです?」

と問う荀彧の言葉に、四将軍は

「天下の趨勢が袁術殿にあると見たから従ったまで!こんな世に何が大義だ!天下のすべてが己の利の在り所を探って生きておるのが乱世よ!」

と心でつぶやくんですね。この言いぐさが、なんというか目先の利益に振り回され、世の流れに翻弄されている今の日本企業の姿と重なって見えてきて、「うーむ」と唸ってしまいましたね。

天命や大義とは言えぬまでも、「なぜ我が社が存在するのか、何のために経済活動を行うのか」というポリシーがなく、ただひたすら益のみを追求している人や集団は、いずれ滅んでいく定めなのではないか…そう思いました。

何か自分の知らない新しい事をやろうとすると「分からない状態」になる。この「分からない状態」はとても不安定で居心地が悪いので、人間あまりこの状態になりたくないのだと思う。新しい事に手をつけなければ「分からない、不安な状態」にならずに済むので、人間はあまり新しい事にチャレンジしない。結果、不安にならない代わりに何も変わらない。自己満足の世界。

どんなに色んな知識を持っている人でも、世の中全体の知識から見たら人一人が持っている知識量なんてたかがしれているだろう。あなたにとっておれにとって、世の中のほとんどのすべての事は「知らない事」。知らない事を少しでも知ろうと思ったら「分からない状態」を経験せずに済ませるのは無理。だから、「分からない状態」からできるだけ逃げないように、いや、自分から「分からない状態」に飛び込んでいけるようにしたいと思う。(nowaから転載)

すごくいいブロガーの方が理路整然とした意見をブログに書かれた時なんか、コメントで「実は私も前からそう思ってました」とか書く人がよくいる。

だったら先に言っとけよ。