By The Way('02)
By The Way/Universally Speaking/This Is The Place/Dosed/Don't Forget Me/The Zephyr Song/Can't Stop/I Could Die For You/Midnight/Throw Away Your Television/Cabron/Tear/On Mercury/Minor Thing/Warm Tape/Venice Queen前作「Californication」から3年を経てリリースされた、RHCP8作目のオリジナルアルバム。プロデュースは「Blood Sugar Sex Magik」から4作引き続いてリック・ルービン。このプロデューサーとの関係も、すっかり強固なものになってきた感がある。実際アルバムの印象は、それぞれかなり違うワケだが、バンドはこの10年一貫してこの人物にプロデュースを任せている。
さて、この作品のリリースに先立つ2002年6月初旬、プレスを集めて新作披露会が開かれたのだが、その際音楽ライター柳憲一郎氏がチャドを除く3人のメンバーに行ったインタヴューが、「Rockin' On」誌7月号に掲載されている。これは、本作を理解する上で重要な発言が頻出している貴重なインタヴューだと思うので、随時そのインタヴューからメンバーの発言をピックアップしながらレヴューしていきたいと思う。
まず理解しておきたいのは、バンドはこのアルバムのために膨大な数の楽曲を作ったという事実だ。アンソニーがメロディをつける前の段階で、実に約50もの曲が作られていたという。その中からアンソニーが曲をつけたのが何曲か、また実際にレコーディングされたのが何曲かは分からないが、とにかくそうした大きな振幅の中から一部的にパッと切り取られた16曲…それがこの作品なのだ。それら収録されなかった曲の中には、フリーいわく「アグレッシヴな曲」もあれば「もっと激しい」曲もあれば、「もっとセンチメンタルな」ものや「かわいい」ものもあったという。最終的にアルバムに入れる曲をセレクトした基準は「アンソニーが歌いたいかどうか」というものだったという。結果、この作品に収められている曲群は、非常にメロディアスなものになった。特に現在のアンソニーの心情が、「歌う」方向に向いているのだろう。それがこの作品という形で結実したものだと言える。「メロディ指向」という点で言えば、彼らのキャリア中この作品がいちばんだろう。
本作における大きな特徴としては、ギタリスト、ジョン・フルシアンテの活躍が挙げられるだろう。一聴すれば分かるように、本作においてジョンの役割は作曲、ギタープレイだけにとどまっておらず、多重録音されたコーラスや、多岐に渡るシンセサイザーの使用など、全般的に彼のテイストが大きくフィーチャーされている。しかしそれはけして彼一人のエゴが表出した作品である事を意味しないと思う。ジョン自身が述べているように。
「そして俺としては、バンドのケミストリー自体をひとつのユニットとして、それをいかにうまく形にして表現していくのかってことが一番大事なことなんだよね」
「だから、俺のワガママ放題で、このアルバムを俺のソロ・プロジェクトにするかのごとく、いたるところに俺の長いギター・ソロを入れたわけでもないよね」
サウンド面での特色を一口で言えば「ビートルズ」という事になるだろう。影響が比較的はっきりと顕れていると言える「I Could Die For You」や「Warm Tape」、「Tear」においてはもちろん、アルバム全体を通して強くビートルズ色を感じさせる出来上がりとなっている。個人的にはサウンド面だけでなく、多用な音楽性を飲み込みながら作品全体をメロディックで美的な手触りにまとめ上げる手法が似ているように感じる。フリーが「このアルバムの核になったのは、“美”だったってこと。今回のアルバムに収録されたほとんどの曲は、とにかくメロディもコード・チェンジも美しいっていうそれだけに尽きる」と述べているように、この作品を一言で表現するならその言葉は「美」になるだろう…そう強く感じる。
このアルバムがリリースされてから、いや、それ以前からぼくはずっと本作についての評価をネットの掲示板などでチェックしていた。特徴的なのは好き嫌いがはっきり分かれているように思える点で、中には「完全に期待はずれだった」という声も聞かれた。もちろん、アルバムの出来をどう評価するか、というのは個々人の感性に委ねられる問題だし、色々な人生があって色々な生き方や色々な感じ方がある以上、今この作品をまったく必要としない人が存在するのは当たり前の話だと思う。ただ、反論するワケではなく単純に疑問に思うのは、そうした人たちはみな例外なく前作「Californication」を聴いていたはずだという点だ。ぼくには本作で表現されているものが、前作で見られた音楽性、世界観を確実に継承しているとしか思えない。さらに言えば同一メンバーでの前々作「Blood Sugar Sex Magik」から継承されているものも確実に本作中には存在すると感じるのだ。ぼくの中では本作はCALの進化、発展形だ。CALではいまいち中途半端に終わっていた感のあるいくつかの曲が、本作で確実に完成度を増している。その事はジョンの以下のような発言が裏付けているように思う。
「あのアルバム(mine-D注:Californication)の曲作りを始めるまで俺は何年間かギターを弾いてない状態にあって、だからあのアルバムの制作に取りかかった段階では、俺のギター・プレイヤーとしての能力がとんでもなく低かったんだ。ギターを弾くことだけで精一杯だったんだ。だから、あのアルバムの時は、メロトロンだとか、シンセサイザーだとか、バック・ヴォーカルをしてハーモニーを作るなんてことはまったく不可能な状態だったわけ」
ぼく個人に限って言えば本作の音楽性は不思議なくらい違和感がなく、自然に受け入れられた。こうした流れは彼らにとって「必然的」な流れだと思うし、逆に言えばこれ以外の音などあり得なかったとまで思えてくるのだ。
ぼくは「Blood Sugar Sex Magik」のレヴューにおいて彼の作がバンドの最高傑作だとした上で、以下のように述べている。「たとえ次のアルバム(本作の事)の出来が恐ろしくよかったとしても、この『Blood Sugar Sex Magik』とは違うフェイズで語られるべきものになるだろう、そんな気がする」。まさにこの言葉通り、このアルバムはBSSMとはまったく違ったフェイズにおいてではあるが、BSSMと比肩するくらいの傑作になった。もちろん、両者を比較した場合作品の音楽性、手触りといったものは根本的に違うので単純に比べる事などできないが、作品自体が持つエネルギー、その完成度において、これは間違いなくBSSMに匹敵する傑作だ。断言する。
仮に、スタイルや表面的な音楽性に左右されないような、曲自体の持つ強度、エネルギーを計る単位があってそれを「曲度」と呼ぶとすれば、本作に収められている曲はすべて曲度が高いと言えるし、それはこのアルバム自体の「アルバム度」が高い事を意味するし、さらには現在このバンドの「バンド度」が非常に高いという事がそうなさしめていると言えるのだ。このアルバムは、ハード/メロウ、ファンク/ポップ、ラップ/歌…そうした対立概念をすべて超越している。どのようなカテゴライズも、もはやこの作品、今のバンドの前では意味を成さない。強いて言えば今彼らがやっているのは「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」というジャンルの音楽だ。
ただ、ぼく自身この作品を聴く前から、彼らのファンキネスへのこだわりが消えていたワケではない。「Anybody worried about... 」というコラムには、発表前海外の掲示板で繰り広げられた新作についての論争を掲載しているが、その中の「PiLGRiM0RtAL」氏の意見は、ぼくにとっては容易に理解できるものだった。彼(おそらく)はこう述べている。「おれ達がそれを受け入れようと入れまいと、RHCPは『確実にポップバンドになっちまった』って事だ。おれ達スラッシュやらファンクやらパンクやらが好きで好きでしょうがない人間を放ってな」。実際、ぼくがファンになった頃のバンドにとってファンクの意味するところはあまりにも大きかったし、ファンキネスの表現とバンドの音楽性とは、切り離して考える事ができない問題だったのだ。ぼく自身このバンドによってファンクの魅力、奥深さを教えられたし、RHCPを通してジェイムズ・ブラウン、スライ・アンド・ザ・ファミリーストーン、そしてもちろんP-Funkなど、ファンクの世界に入っていったのだ。昔クスリの味を教えてくれた彼氏が今ではすっかりストレイトになり、「もうクスリはやめるよ」などと宣うようなもので、「あんた何勝手な事言ってんのよ。どっぷりクスリ漬けになった私の体はどうしてくれるのよ!」とでも言いたい気分だ。
そんなぼくにとって「Californication」はいわば「判断保留」的な作品だった。そこで提示された新しい方向性に理解は示しつつも、いまいち釈然としないものを感じていた。バンドがメロディ指向に傾いていく事自体は納得がいったし、気に入ったのだが、いくつかの曲に対してはなぜバンドがこうした音を鳴らさなければならないのか理解できなかった。BSSMで高みに上り詰めた彼らが、なぜ今こうした音楽をやらなければいけないのか…。だから本作についても、もしバンドが作ったものに納得が行かなければファンをやめようと思っていたのだ。それは自然な事で、むしろ納得しないまま惰性でファンを続ける事の方がおかしいと思う。中途半端にメロディアスな音を鳴らすくらいなら、ずっとハードでファンキーな曲をやっていてほしいと思っていた。結果、本作においてバンドは、すべての曲においてメロディアスさを追求しつつも、恐ろしいほどの完成度を持ってぼくの拘りを見事に凌駕した。ぼくはこの音に完全に屈服させられたのだ。
そして、ぼくはこの作品がファンキーではない、とはけして思わない。もちろん、たとえば「母乳」と本作を比べてみると表面に顕れているファンキネスの「量」は違う。だが、繰り返し述べてきたようにこのバンドにとってのファンキネスとはそうして表面に分かりやすく顕れてくるものだけではない。それはもっと内面的で、彼らの生き方そのものと言ってもいいくらい消化されきっているもののはずだ。鳴っている音がすべてではないのである。よく言われる「バッキバキ」のフリーのベースというのがスラップ・ベースを意味するのだとしたら、「Blood Sugar Sex Magik」で彼は一度スラップをやめるという試みをしている。結果できあがったものはこれ以上はないというくらいファンキネスに溢れた作品ではなかったか。形ではないのだ。それはこの作品においても然りで、表面的にはポップでメロウな楽曲でも、すべてにおいてファンキネスを感じさせるそれではないだろうか。ぼくには、この作品に収められた楽曲すべてがグルーヴしているようにしか感じられない。
ともかく、この作品においてバンドが大きく成長を遂げたのは間違いない事実だ。ここでは、彼らは確信的に自由であり、何事にも囚われていないように思える。それは固定化した「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」というパブリック・イメージからも自由である事を意味している。彼らはもはやファンキーである事にも、ハードコアである事にも、マッチョである事にも、クレイジーである事にも拘りはないのだ。だからこそ「Universally Speaking」や「Cabron」といった、今までとは大きく手触りの異なる曲を、説得力を以てファンの前に提示できるのだ。それは彼らがただ「自分達が自分達である事」それだけで闘えるようになるまでに成長したのだと言える。
Everyone knows Anything goes
We are the lotus kids
Better take note of this
For the story
みんな分かってるだろ、何でもありだって
おれ達はロータス・キッズ
メモっといた方がいいぜ
(これから起こる)ストーリーのために
「Midnight」
2002年4月くらいの話なのだが、海外ファンサイトの掲示板にこの作品の曲目とタイトルがリークされるという事があった。ぼくは「Fragile Guitarist」(B坊さん)の掲示板経由で知ったのだが、その時点でのアルバムタイトルは、「Wolverine (This Is Your Place)」となっていた。もちろんその情報がデマであった可能性は否定できないのだが、同時にリークされた曲目(1.Dont Forget 2.Fortune Faded 3.Universally Speaking 4.Television 5.Dosed 6.minor thing 7.Warm tape 8.by the way 9.Wolverine this is your place 10.If you had to ask 2 11.Royal blues 12.funk for junkies)から見て、かなり信憑性は高かったと言えるのではないだろうか。けっきょくアルバムタイトルは「By The Way」となり、「This Is Your Place」という曲名も「This Is The Place」になったのだが、少なくとも「Wolverine」がタイトル候補に挙がった事だけは間違いないのではないかと思っている。「Wolverine」とは「クズリ」という動物の事だが、「ミシガン州の人間」という意味もある。アンソニーが生まれたのはミシガン州だ。ぼくは考えた。西海岸文化と激しく闘い、前作で敗れた彼らの行く着く先は、生まれ故郷であるというストーリーを。「Scar Tissue」のプロモーション・ヴィデオで傷だらけの彼らを乗せた車が向かっていたのは「安らぎの場所」だった…そうした流れは頷ける気がしたからだ。「This is the place you were born, This is the place where you can lay your soul down, THIS IS YOUR PLACE」…これがぼくの予想した本作のストーリーだった。
しかし。「This Is The Place」の歌詞を見てほしい。ここで歌われている「The Place」とは、紛れもなくカリフォルニアの事だ。
On the day my best friend died
I could not get my copper clean
「copper」(銅)をクリーンにするというのは象徴的な表現だが、ヒレルをドラッグで失ってもなおドラッグから足を洗えなかった昔のアンソニーの事を意味しているのではないか。そうした「因果な場所」としか言えないカリフォルニアに彼らは住み続け、彼の地について歌い続ける事を選択したのだ。さらに「The Zephyr Song」においては、次のように歌われている。
Fly away on my zephyr I feel it more than ever
And in this perfect weather We'll find a place together
「Zephyr」とは日本語盤対訳にあるように「軟風」という意味ではなく、「西風」の意だ。アンソニーが以下のように語っている。
「ロサンゼルスには、サンタ・アナ・ウィンドっていう砂漠から吹く風があるんだけど、その風は暖かくて電気を帯びていて、しかも有毒なんだ。だから、みんなサンタ・アナ・ウィンドが吹くとロサンゼルスの人間は、狂い、幸せになり、恋に落ち、そして生き返るって言うんだよね。だから、この歌はその風についての歌なんだ」
ここで「おれ達が共に見つける」と言っている「a place」は、前述した「This Is The place」の「the place」が現実のL.A.、カリフォルニアを指しているのとは対照的に、想像上の、理想化された「場所」、彼らがいつか見つけだすであろう「場所」を意味している。上述した「The Zephyr Song」のサビの部分は本当に爽やか過ぎるほど爽やかなメロディに乗って歌われており、これはメンバー同士の結びつきや友情によって、狂気に溢れた因果な土地=カリフォルニアに敢えてとどまり続け、それと正面から対峙して行こうとする強さを手に入れたという事を意味しているのではないだろうか。
このサイトの掲示板「mine-D's SPICE! BBS」によく面白い書き込みをしてくれる「ガッツちょろ松」さんという方がいるのだが、輸入盤がショップに並んですぐに手に入れた彼が書き込んでくれた内容を引用させてほしい。
後、このサイトとココに来らてる人たちみなさんに、感謝っすよ!
ほんま。
ココ来て、みなさんと話ししたり意見交わしたりしてへんかったら、
こう言う感覚でこのアルバムが聴けてかわかんないっすもん・・・マジで。
"ヘビーロック"バカ(笑)の頭トロトロ野郎のままで
こんなアルバム、「レッチリやない!」とか言うてそうですもん。
(苦笑)
まだ訳詞もわからんのに、このアルバムに素直に感動出来た自分も誉めてやりたいっす!(笑)
ぼくもこのアルバムを聴いた時、まったく同じ感想を持った。2000年にファンサイトをオープンしてから約2年間、ぼくはサイト運営を通じて様々な人と出会って、影響を受け、色々な事を考えさせられ、笑いあい、成長させられたのだと思う。もちろん、現実の世界においても、ぼくの身の回りで起こってきた様々な出来事はぼくをいくぶんか成長させた。
フリーが最近のアンソニーについて以下のように述べている。
「ただ、その反面さ、俺は昔っからアンソニーの冷たくて自分勝手なところがすごく苦手だったんだ。それが、こうして長年一緒にいるからこそわかるんだけど、そんなアンソニーが最近では人間的にすごく成長して、すごく優しくて、人を助けるような、人に何かを進んで与えるような、自分のことばかりじゃなくて、自分の周りにいる人の気持ちを考えられるような奴になったんだよ。(中略)そして、究極的には、愛することを信じられるような人間になったと思うんだ」
このバンドのファンになったばかりの、13年前の事を思い出す。「The Uplift Mofo Party Plan」や「母乳」をリアルタイムで聴いていた頃、ぼくはこうしたレアなバンドのファンを気取る事で本当の自分と直面する事から逃げていた。「レッド・ホット・チリ・ペッパーズってバンド、知ってる?」と周りに自慢する事によって、「あまり有名ではない、クレイジーで変なバンドを知っている自分」をクールだと思わせようとしていた。メンバーだって、本当に頭のおかしいヤツらだと思いこんでいたし、そうである事を望んでいた。クレイジーであるからこそ支持していたのだし、バンドに対する愛など存在しなかった…ぼくは最近までそう思っていた。だけど、BSSMを初めて聴いた時にも思った事だし、本作を聴いてさらにその思いを強くしたのだが、ぼくの選択はまったく間違ってなどいなかったのだ。脆くて今にも崩れ落ちそうな自我を抱え、すべての事に違和感を感じながら屈折して生きていた日々…ぼくはそんな自分自身に対して否定的な感情しか持てなかった。だけどそうした日々の中にも愛の萌芽は確実に存在していたのだ、自分では気づかなかったけれど。ぼくは今、あの頃の自分を強く肯定したいという気持でいっぱいだ。
今、「人に与える事」の喜びを知り、照れる事なく「愛」という言葉を使えるようになった自分を誇らしく思う。まさかこんな気持になれるとは思っていなかったのだ。長い道のりを経て、ぼくを現在のような心的状態に導いてくれたすべての物事に、それからレッド・ホット・チリ・ペッパーズというバンドと、「mine-D's SPICE!」を通じて出会ったすべての人、家族に心から感謝したい。本当にありがとう。愛しています。
個別リンク:http://www.mine-d.com/reviews/BTW.html|↑