Californication('99)
Around The World/Parallel Universe/Scar Tissue/Otherside/Get On Top/Californication/Easily/Porcelain/Emit Remmus/I Like Dirt/This Velvet Glove/Savior/Purple Stain/Right On Time/Road Trippin'長くバンドを離れていたジョン・フルシャンテが復帰し、4年ぶりに制作された通算7作目のオリジナルアルバム。
「Blood Sugar Sex Magik」制作時にアンソニーは、収録されたバラードを「サラダ」と表現していたが、ここに至って、アルバムのほとんどをバラードやミドルテンポの曲が占めるに至った。しかし、このアルバムに収められているサラダは、それだけで十分主食になり得るような、「パワーサラダ」だと言える。
全体的な音の印象は、前作と比するとあまりにもシンプルで、派手さもない。これには、ジョン・フルシャンテのプレイスタイルが多分に影響を与えているだろうと思われる。「BSSM」をリリースして以後、ステージで見られるジョンのギタープレイは、シンプルで、なんというかブルージーに変化していったように思う。速弾きなどは一切なし、エフェクトもなし、単にシールドをアンプにぶち込んでそのままプレイ、とでもいうようなスタイルだ。ステージでは、アンソニーやフリーが狂ったように激しいステージングを行っている横で、一人「レイドバック」している、というある種異様な姿が見られた。この頃は相当薬物に依存していた状態だったようで、その辺りの影響も大きかったのだろう。
「BSSM」セッションで録音されたが、アルバムには収録されなかった「Soul To Squeeze」という曲がある。シングルのカップリングなどで聴くことができるが、ぼくは最初に「Californication」を聴いたとき、同じメンバーで制作された「BSSM」とこのアルバムをつなぐ「ブリッジ」にあたる曲は、その「Soul To Squeeze」だと思った。メンバーにそういう意識があってかどうかは知らないが、「Californication」ツアーではぼくの知る限りすべてのステージでこの曲が演奏されている。
この「Soul To Squeeze」で見られるような、ブルージーで、「枯れた」ジョンのギターサウンドは、確実に本作で発展を遂げ、それがアルバム全体のトーンを決定しているように思える。哀愁を帯びていて、繊細な感じ。特に、「Easily」後半のギターのフレイズなどは泣ける。「BSSM」では、全体的にカッコいいリフで作り上げていくスタイルだったのに比べて、本作では「メロディー重視」の曲が驚くほど多い。
早くもなく、バラードでもない、ミドルテンポの曲が中心になっている点も本作の特徴だ。「Parallel Universe」「Scar Tissue」「Otherside」「Easily」「This Velvet Glove」…派手さはないが耳に残る、こういったミドルテンポの曲こそがこのアルバムの真髄であり、RHCPが獲得した新たなリアリティ・オブ・サウンドだといえる。もちろん、「Around The World」「Get On Top」といった定番のファンク・ラップ・ナンバーや、「Right On Time」のような「速い」曲も健在だが、全体的に何ともいえない「せつなさ」にあふれているような、そんな印象を持つ。
それにしても、このアルバムを聴いて思い知らされるのが、ドラムのチャド・スミスのすばらしさだ。もともとこの人はすばらしいのだが、ミドルテンポの曲が増え、サウンドがシンプルになったことで、改めてその重要性が際だったように思う。本作で見られるようなミドルテンポの曲が並ぶと、アルバム全体としては緊張感がなくなって、「だらけてしまう」危険性がある。しかし「Californication」のような、ファンクチューンでもなんでもない曲のリズムまでもが、しっかり「グルーヴ」しているのである。このため、アルバムを通して聴いても飽きることがなく、緊張感はずっと持続したままだ。
ミドルテンポの曲の出来は確かにいいのだが、正直言ってぼくは本作中の「Emit Remmus」や「Savior」といった曲が今ひとつよく理解できていない。「出来がよくない」という訳ではないが、なぜ今RHCPがこれらの曲をやらなければならないのか、というところが見えてこないのだ。あるいは、次のアルバムを聴いたときにその意味が分かるのかもしれない。
このアルバムから最初にシングルカットされた「Scar Tissue」のヴィデオクリップが実に印象深い。このクリップで、メンバーはオープンカーに乗ってアメリカのどこかの州の砂漠を走っていく。彼らの体は全身傷だらけで、包帯が巻かれている。ここでは、RHCPが、デビュー当時からの闘いに「負けた」ということが表現されているのだ。前作「One Hot Minute」の「Transcending」で、狂おしいほどに呪い、のたうちまわり、唾を吐いた末に、彼らは「負けた」のだ。「Scar Tissue」の美しいメロディーが、壮絶な闘いの末に砕け散った彼らの心に、レクイエムとして響く。
「負け」を「負け」と認めることは勇気がいることだ。しかし、なんだかんだ言ったって負けは負けだ、そんなアルバムを作ってどうするんだ、と思う方もいるかもしれない。しかし、彼らは、そのキャリアを通じて真剣に闘い抜いたからこそ、はっきり「負けた」ということを表現できたのであり、そのことは意義のあることだと思う。
では、彼らは何に「負けた」のだろうか。
彼らは、L.A.のハリウッド出身であり、そのことを何度も歌で強調してきた。西海岸文化の担い手であり、ハリウッドのホームボーイであることに誇りを持っていたからこそ、そのことを何度も繰り返し表現してきた。
タイトルの「Californication」とは、単純に考えて「California」と「Mass-communication」をくっつけた造語だと見られる。いわば「カリフォルニア的マスコミュニケーション」とでも言えばいいのか。ハリウッドは、まさにこの「Californication」=メディアを通して世界中に伝播される西海岸文化の発信地でもある訳だ。実は、RHCPが負けたのは、自分たちが愛してやまなかった、この西海岸文化そのものなのではないか。皮肉にも彼ら自身が信頼を寄せて、拠り所にしていたハリウッド、カリフォルニアに負けてしまったのだ。こうしたカリフォルニア的文化を、その身をもって体現していたのがRHCPに他ならなかったことを考えると、彼らは「自分たち自身に負ける」という、なんともアイロニックでやりきれない負け方をしてしまったのだといえる。
先述の「Scar Tissue」のクリップの最後では、ジョンがボロボロになったギターを捨て、車はどこかへ走り去る。彼らはどこへ逃げたのだろう。本作のラストに収められている「Road Trippin'」では、Let's go get lost. Anywhere in the U.S.A.(さあ、姿を消そう 合衆国のどこかへ)と歌われている。たとえどこへ逃げても、彼らは「アメリカ」というストーリーからは逃れられないのかもしれない。きっとそうなのだろう。
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