I'm With You('11)
Monarchy of Roses/Factory of Faith/Brendan's Death Song/Ethiopia/Annie Wants A Baby/Look Around/The Adventures of Rain Dance Maggie/Did I Let You Know (This I Know)/Goodbye Hooray/Happiness Loves Company/Police Station/Even You Brutus?/Meet Me At The Corner/Dance, Dance, Dance The long and winding road
前作「Stadium Arcadium」発表から6年ぶりのリリース。その間にジョンが脱退してしまい、ジョシュ・クリングホッファーが新ギタリストとして加入するという経緯で制作された。振り返ってみるに、ジョンのエンピリアン発表あたりから、正式にジョシュが加入して新作制作に入るあたりまでは実にモヤモヤした気分で、ファンとしては実にしんどい時期だった。まずは今作に至る経緯を顧みておきたい。
このサイトの過去ログを辿ってみる。まずジョンのインタビューの中で、RHCPとしての活動が話題になると、とたんに歯切れが悪いなぁ…というあたりから暗雲が立ちこめ始める。2009年1月。
それ以前は調子いいこと言ってたチャドが前言撤回で活動停止は「無期限」に。もう明らかに活動再開の目処立ってないよね、と。これが2009年2月。
本当にこの頃は、「バンドどうなっちゃうの?」と不安を覚えつつも、けなげに活動再開を信じて待っていた。ジョンと一緒に、またいい作品作ってくれるんだろう…と希望を持って。
レコーディング開始の期待が高まる中、アンソニーとフリーからコメントが。しかしジョンからは一言もなし。これが2009年8月。
そんな中、ジョンが「もう自分は利益や他人のために音楽を作ったりはしない」と発言したと聞き、ぶち切れて思いの丈をぶちまけるmine-D。2009年の年末。
そこへ持ってきてMusicRadar.comがついにジョンの脱退を報道。
もう「何やってんだよ!」の心境。この脱退劇についてはいまだに引きずっているところがある。というのも、ジョンが脱退したのは一年前の2008年だったとのことで、にもかかわらず次作の制作について期待を持たせるようなことを言い続けてきたバンド側(特にチャド)の態度には、どうにも釈然としないものを感じた。
もちろん、その間引き留めを行っていて、ジョンがバンドに戻ってくる可能性がゼロではなかったから、という解釈もできるが、よく分からない情報に振り回されたファンとしては、バンドの活動再開に期待していただけショックだった。言い方はきついが「ファンを騙していたのか」と。
2010年10月になって、ジョシュを含めてレコーディングを行っているというニュースが伝わってきて、さらには11月にはチャドから翌年のサマソニ出演という明るいニュースも発表されて、ようやくバンド活動の見通しが立ってきたのだった。
活動休止時期からジョン脱退、ジョシュ加入、活動再開、レコーディング開始…という一連の長いスパンの間、ファンとしてはかなり振り回されたし、バンドとしてもかなりタフな経験だったのではないかと想像する。以上が振り返り終わり。
全体的な印象
作品全体の印象としては、明らかに前作「Stadium Arcadium」の延長線上にあると言っていいだろう。ジョシュ加入により方向性が大幅に変わったかと言えばまったくそういうことはなく、意外なほど継続性を保っていると感じる。前作で指摘したような、曲ごとの差がなくなり平坦化していく傾向はさらに強まり、聞きようによっては「同じような曲ばかりでつまらない」と捉える向きもあるだろう。しかしひとたび表面的な平板さを受け入れれば、その奥には繊細で表情豊かな世界が広がっている。これは前作から見られる特徴なのだが、このあたりが、本作を何度も繰り返して聴いてしまう原因のひとつになっていると思われる。
例えばBSSMの頃とは、どちらがいい悪いではなく、方向性がまったく違ってきている。そして、もう昔に戻ることもないと思う。したがって、BSSMのようなインパクトを、今後のRHCPの作品に求めることは意味がないだろう。
サウンド
RHCPといえばファンク、と捉える向きも多いだろうし、このサイトでも大きなテーマとして何度も取り上げてきた。しかし少なくともサウンド的な意味で言えば、すでに「ファンクかどうか」というのはこのバンドを評価するときの価値基準としてまったく通用しなくなってしまったと言えるだろう。
様々な音楽的要素が詰まっているが、全体としては「レッド・ホット・チリ・ペッパーズの音楽」としか形容しがたいものになっているし、善し悪しを言うに際しても、「いい曲」かそうでないか、という抽象的な言い方でしか評価できないくらいになっている。つまり、サウンド面で「こういう要素が入っているからどうこう」というのは、今作を評価する上では副次的な情報でしかない。本質を捉えてるとは言えない。
特にBTW、SAにおいてジョンが果たした役割が大きいのは言うまでもないが、mine-D自身もそう感じていたように、この2作でのメロディ指向という要素はジョン一人によるものだと思っていたファンが多かったと思う。しかし、ジョンが抜けてできあがったこの作品を聴いて分かるのは、最近のメロディ指向は、けっしてジョン一人の影響によるものでなく、むしろフリーとアンソニーの二人の好みによる部分が大きいということだ。これが、最近のRHCPを語る上で押さえておくべき重要な音楽的背景だと言える。
ジョシュの加入
今作を語る上では、やはりジョシュの加入が大きな要素となってくる。ジョンが離れた時のツイッター等での反応のほとんどは「ジョンが抜けたレッチリなんてレッチリじゃない」というものだったし、mine-D自身もそう思う向きが強かった。コアなファンの間でも「ジョシュはいいプレイヤーだし、なんでもこなせるけど、個性・押しが弱すぎる」という意見が通説だったと思う。mine-D自身、正直言えば今作がジョシュを加えていい作品に仕上がるかどうかについては、かなり懐疑的だった。
しかしジョシュはそうした予測を奇妙な形で裏切った。まず、ジョシュの相反するふたつのパーソナリティについて指摘しておきたい。まずひとつめとしては、「プレイヤーとしてのジョシュ」。
ジョンの後釜としてこのバンドの加入するということは、よくも悪くも「ジョンの代わり」として見られることを意味する。それはジョシュ自身がよく分かっていたことだと思う。そういう意味では、「ジョンの双子の弟」「ジョンのアルターエゴ」とも言える存在、ソロやAtaxiaでの活動で一心同体的にプレイしてきたジョシュは、「代わり」としては適役だったと言える。
しかし、もちろん「ジョンの劣化コピー」になってしまっては、このバンドでうまくやれるはずがないことも、ジョシュはよく分かっていたはずだ。つまり、「ジョンの後釜」かつ「ジョンではないRHCPのギタリスト」という、ふたつの相反する役割をこなさなければならなかった訳で、これは相当むつかしい要求だと言える。
いや、例えば過去にデイヴ・ナヴァロが加入した時のように、まったくスタイルの違うギタリストと新しいサウンドを作り上げるという方向も、一般的なバンドならアリだったかもしれない。しかし、今作を聴いて分かるように、すでにバンドとしての音楽的方向性は一定の方角に帆を張って進みつつあり、それはもういまさら違う向きに舵を切れるようなものではない。
そういう意味では、ジョシュという人選は「今のRHCPがいちばん必要としているドンピシャリのギタリスト」だったと(本作ができあがってみてから言えることではあるけれど)言えると思う。チャドが「(ジョシュが入ってくれたのは)運がよかった」という旨の発言をしているが、それはこういう観点からよく理解されるだろう。
しかし、もうひとつのパーソナリティ「バンドメンバーとしてのジョシュ」は、特にインタビューの場において顕著なように、非常に危なっかしいとも言える。思春期まっただ中の中学生のようにぎこちなく受け答えするジョシュは、あまりにもナイーブで純粋で、歴代メンバーの中でも特に異質な存在感を放っている(もちろん、ステージでのジョシュは非常に頼もしいのでまた違う人格なのだが)。
ジョシュが持ち込んだ童貞性
これは完全にmine-D独自の理論なのだが、ジョシュ・クリングホッファーはRHCPというバンドに、歴史上初めて「童貞性」を持ち込んだメンバーではないかと考えている。童貞性というのは、けっして現実のジョシュがそうという訳ではなく、音楽に対してはストイックで献身的である一方、このバンドのひとつの特色でもある「エロス」とは無縁のスタンスを貫く…そういうメンタリティを「童貞性」と定義しておく。
例えばジョンにしても、音楽的にはジョシュ同様にストイックで求道的ではあるけれど、一方プライベートではきっと盛大な変態セックスを追求している。そうに違いない。しかしジョシュは違う。ヤツはそういう事はしない。そんなニュアンスで捉えてほしい。だからどうだという訳ではないのだが、今までの長いバンドの歴史において、こういうキャラクタは存在しなかったので、今後ジョシュからバンドに対してどういう影響を与えていくことになるのか、非常に興味深い。いずれにせよ、ジョシュの特異さは、この「童貞性」というコンセプトによって容易に理解され得るだろう。
ジョシュの音楽性・プレイスタイル
ジョシュの音楽性は独特の世界観を持っている。特に特徴的なのは、中性的なコーラスだ。ジョンのそれとはまた違う、なんともいえぬエモーショナルなコーラスを加えられることによって、RHCP自体のサウンドにも、効果的な奥行きが付加されたように感じられる。バッキングだけでなく、時に前面に出てくるコーラスの存在感はジョン以上だと言って差し支えないだろう。特にDid I Let You Know, Goodbye Hooray, Police Station, Meet Me At The Cornerといった曲を印象深いものにすることに成功している。
一方で、ギタープレイについては、まだ判断がつきかねる。ソロなのか違うのかよく分からないフェイントみたいなソロは、全編にわたって耳につく部分だ。作品からは外れるが、ライブでは特に音が小さかったり、「それソロじゃなくてカッティングだろ」と言いたくなるようなプレイが多々ある。
こうしたスタイルは、ジョシュの個性としての「主張しない主張」から来ているというのがmine-Dの主張だ。もちろん技量的に盛大なソロを弾けるスキルは持っているのだが、あえて主張しないのがジョシュの流儀なのだろう。それはけっしてマイナスの面ばかりではなく、ジョシュの長所と表裏一体になっていると思うので、単純に非難することはできないし、今後プレイスタイルがどのように変化するのかは分からない。99年にジョンが復帰したときのステージングと、2006年あたりのステージングを見比べてみればいい。ジョシュも世界クラスのバンドに加入してレコードを制作し、ツアーを回るという経験を経て、今後どのように成長するのかは、まだ未知数だ。すでに実力が十分にあることは、今作で立証されたと言っていいだろう。
バンドの進歩
バンドはレコードを制作するごとに、新人バンドのような成長を遂げている。ここがレッド・ホット・チリ・ペッパーズというバンドのいちばんの特徴であり、底力であると思うのだが、これだけのキャリアのバンドで毎回(口先だけでない、実質的な)音楽的なチャレンジをしているところはめずらしいと思う。具体的には、前作なら「Hey」、今作なら「Did I Let You Know」。こういう、手持ちの札ではない範囲の曲調にチャレンジして、なおかつそれを自分たちの物にしていく勇気、実力は見上げたものだと思うし、個人的には今作の中でいちばん気に入ったのが「Did I Let You Know」だ。
アンソニーの歌唱力、表現力も進化を遂げていて、普段の努力を覗わせる。ヘタだ音痴だと言われ続けながら、50を目前に控えた中年男性がここまで実力をつけてくるのは驚異的としか言いようがない。特に「Brendan's Death Song」での高音など、以前のアンソニーなら絶対やらなかった挑戦だと思う。映画館で上映された「I'M WITH YOU in シアター」を見れば分かるが、何度も録り直せるレコードだけでなく、ライブでも安定した歌唱力をキープできるまで実力をつけていることを見せつけた。長年色んな形でRHCPのライブを見てきているが、あれだけアンソニーの歌が安定しているライブは初めてだったので、本当にびっくりしたのだ。
まとめ
今作も、レコード作品としてはほぼ文句の付けようがないくらいすばらしいクォリティに仕上がっていると思う。単純に「この作品が好きだ」と言える、そんな一枚。このバンドの伝統とも言える「ギタリストの危機」をまたしても経験しながら、めぐまれた運と実力で乗り切ってこれだけの作品を作り上げるレッド・ホット・チリ・ペッパーズというバンドは、なんだかんだ言ってもやっぱりすごいんじゃないですか?
アンソニーの言う「バンドは始まったばかり」はけして誇張ではない。物語はまだまだ続いていくのだ。
個別リンク:http://www.mine-d.com/reviews/IWU.html|↑