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mine-D:
いやいやどうも。これで7回目の対談ですな。
確か前々回は「宗教」というかなり大きなテーマに取り組んだと思うんだけれども、今回のテーマはずばり「日本」で行きたいんだよね。「日本人論」の本はそれこそ山のように出ているけど、おれたちなりの意見として、日本人としてのアイデンティティというか、レーゾンデートルというか、ようするに「日本とは、日本人とはなんぞ」という辺りを、よいところ悪いところ引っくるめてざっくばらんに話し合ってみるのもいいんではないかと、こう思ったんだね。
Silverboy:
大きく出たよなあ…。でもさ、僕の大学のゼミ論文って日本人のナショナル・アイデンティティ論だったんだよ。バカだったんだけどさ、当時は。
ただ、その頃から変わらないのは、日本って良くも悪くも孤立してるんだよね、世界から。もちろん最近は街に外人も増えてるし、それも白人や黒人といういわゆる分かりやすい「外人」以外にアジア系や南米系の単純労働者とかも増えて、確かにある面国際化は確実に進んでるんだけど、日本文化というのは驚くほど閉鎖的で排他的な一面があって、その孤立感はほとんど変わってないと思う。
それってやっぱり日本が島国だからということと、あとは日本語という言葉の問題なのかなという気がするんだけどさ。
mine-D:
ふむふむ。ずっと日本に住んでると分からないもんだけど、やっぱりあるかね、そういう閉鎖性は。
地理的な側面や言語的な側面…やはりそうした外的な要因によって、我々日本人の国民性が規定されてしまう、という面はあるのかもしれないね。
しかし考えてみると変わった国だもんね、日本って。周囲を海に囲まれていて、基本的に自分の国でしか通用しない言語を使っていて、おまけに過去何百年かの間、ずーっと他の国と交流を持たない事に決めてたんだもん。国自体が引きこもりだったという、ね。
Silverboy:
そうそう、それそれ。その、国自体が引きこもりというのは僕の実感にすごくよくはまるわ。ただまあ、地政学的な要因でその国の成り立ちが決定されるというのはある意味仕方ない部分もあるよね。だって国境ってものがないんだもん。そのおかげでいろんなものが独自の発達を遂げて来た訳でもあるけどさ。
mine-D:
うむうむ。例えば文化面では浄瑠璃、歌舞伎、浮世絵…。鎖国政策下で生まれた芸術の中には、他の国には絶対真似できない素晴らしいものがたくさんあるよね。
なんか開国以降はこれといった文化は生み出していないような気もするけど、これはやっぱり、江戸時代っていうのがある種特別な時代だったせいなのかね。
Silverboy:
まあ、当たり前だけど鎖国してたというのは大きいと思うけどな。ただ、歌舞伎、浮世絵、みたいな典型的な日本情緒でなくても、我々の、何というか、「心持ち」みたいなものの中にかなり独特の価値観みたいなものがあって、それが国の中では驚くほど同質的で共有されてるのに、対外的にはまったく互換性というか通用性がなかったりすることがあると思うんだよね。
mine-D:
うんうん。グラデーションになりにくいというか、日本国内、日本人同士では非常に濃い密度で共有できている感覚が、周囲の海によっていきなり「バシッ」と遮断されてしまうという感覚ね。自分たちでは分かってることを、「外側」に向けてはさっぱり説明できない。そういう焦燥感みたいなものは、自分でも経験があるなぁ。「うーん…だから、分かるでしょ、ね?」っていう。全然分かってくれないんだけどね。
これはよく言われることなのかもしれないけど、やはりそういう日本的心情みたいなものは、論理的に説明するのがむつかしいっていうのが、原因としてあるのかな。
Silverboy:
どうなんだろ、それは難しいと思うんだけどさ、一つにはmine-Dが言うように「日本的心情」そのものがすごく特殊なものでそもそも論理的に説明しがたいという考え方と、物理的に島国で他の国民、他の民族との交流がほとんどない国だから、自分たちの文化を論理的に外に向かって説明する経験がなくてその訓練もまったくなされてないからできないんだという考え方と。そのふたつが複雑に絡み合ってるような気がするな。
mine-D:
なるほどね。
それじゃ、その「特殊な日本的心情」について話してみたいんだけどね。おれが前々から思ってることは、現代日本の美的感覚はどうなっちゃったんだよ、ということなんだよね。さっき話した日本人特有の感性というものは、外的要因が変化してもずっと日本人の心の中に受け継がれているはずだと思うし、たとえ鎖国をやめて、外からの文化が日本の隅々まで浸透したんだとしても、なにかしら文化、芸術の場面で「日本人ならでは」の感性が認められるはずだと信じているんだけど、どうもそういう感性が、消えてしまったようにに思えてしょうがないんだよね。
Silverboy:
う〜ん、それは例えば習慣的な「美風」とか「美意識」みたいなもののこと? 細やかな心遣い、とかそういうの。思いやり、とかさ。あるいはもうちょっと具体的な「日本文化」的なものかな。カブキとか。
なんかチマチマした感じ、とかいう「特徴」は依然としてあると思うけどね…。
mine-D:
えーと、おれが言いたいのは「美意識」だな。例えば建築物なんだけど、今現在の日本の街並みを見て「美しい」と思う人はあまりいないと思うんだよね。自然が作り出した名勝や、昔の寺社仏閣なんかの建築物じゃなくて、「今の」日本人が作り出している街並みの事なんだけど、これは、美的感覚から言ってはっきり「酷い」と断じてしまえるくらいだと思うんだよ。まあ、美的感覚って言えば人それぞれって面はあると思うけど。
江戸時代の人たちが持っていた日本的感性といったものが、日本人固有のものとして受け継がれてきたのなら、現代に生きる日本人の中にもそれは残っているはずだし、そうであるなら今あるようなブサイクな景観ができあがるはずないだろ?っていう気持ちがあるんだよね。あまりにも差が激し過ぎるというか…。
Silverboy:
ふむふむ…。確かに日本の街並みとか美観の問題ってあるよな。やっぱりどこかで「伝統」に対する眼差しが断絶したのかな…。
mine-D:
そうだね。「断絶」ってのは、絶対どこかであったと思う。これは自戒を込めて言うんだけど、「伝統」というものを自分たちがきちんと継承していこうという気概がまったくないよね、今は。だって外国に向かって「これが日本です」と胸を張って誇れるものっていえば、昔からあるものばかりじゃない。そうじゃなくて「そうした伝統は形を変えていますが今でもきちんと受け継がれています、それはこういったところに現れています」ってちゃんと説明できるものがない訳じゃない。
そうした意味で、日本人的感性ってどこかで断絶しちゃってるんだよ。具体的にはどこなんだろう?やっぱり太平洋戦争の敗戦なのかな。
Silverboy:
うん、それは僕も言おうと思った。敗戦、米軍の占領というのは日本の文化の中でひとつの大きな転機だったのかもしれない。何しろ外国に占領されるなんてことはそれまで日本にはなかった経験だったから。
ただ、実際に伝統が失われて行く過程というのはむしろその後の高度経済成長にあったのかもしれないとも思う。敗戦によって一種のアイデンティティ・ロストの状態が生まれた後の空白に、有効な価値観が現れなかったんだ。だから高度経済成長の中で伝統を顧みる「こころ」みたいなものが簡単に見失われて行った、と。
mine-D:
うんうん。よく言われる事ではあるけれど、そうしたアイデンティティ危機、ぽっかり空いた心の隙間を埋めるのに「経済成長」という分かりやすい目標がぴったりだったんだろうね。GNPという数字が上がっていけば「がんばってる」という気になれるし、身の回りの生活水準が上がっていくといった体験はすごく充実感を伴っていただろうしね。しかもそこへ、アメリカ文化が雪崩のように押し寄せてきた訳でしょう。もう「こころ」もへったくれもない!って状態だったのかもしれない。
うーん…他の国ではどうなんだろうな。例えばドイツなんか、日本と同じ第二次大戦の敗戦国だけど、なんかそれほどたいした「断絶」はないように見受けられるんだけど、その辺りはどうだろう?まあドイツの場合は「分断」があったという言い方ができるかもしれないけど。
Silverboy:
そうだな、ちょっと話がそれるかもしれないけど、ドイツ人の第二次世界大戦観というのは我々とはちょっと違うと思う。
おそらく大半のドイツ人は、第二次世界大戦でナチスがやったことというのは、ドイツの歴史の「本筋」とは関係のない、突発的で異常なできごとだったと考えてるんじゃないかな。というか、敗戦によるアイデンティティ・ロストを、あれはナチスが悪かったという特殊性の中に押し込めてしまった訳だよね。
その結果、ドイツ人は歴史の分断とか断絶というものをさほどシリアスに経験していないと思う。要はナチス、ヒトラーだけがドイツの歴史の中での「異物」というかガン細胞みたいなもので、あれはもう根絶しましたから大丈夫です、健康に戻りました、ということだろ。本来の支配層、エスタブリッシュメントはナチスによっては傷つかなかった、と。本当はそんなことないんだけどさ。
それに比べると日本の太平洋戦争というのは、明治維新以来の富国強兵、対外膨張政策の必然的な結果だった訳だよね。その流れは歴史の本筋そのものであり日本のエスタブリッシュメントが挙げてそれにコミットしていた訳だから、それが挫折すればアイデンティティ・ロストに陥るのは必然だよ。
mine-D:
なるほど。ドイツの場合は、実質はともかく、そういう「一時的な迷いだった」というストーリーで大方が納得してしまえる訳だ。それに比べると日本の場合は…たとえ「A級戦犯」を全員処刑にしたところで、「アレは一部のものが暴走しただけで…」と素知らぬ顔して切り抜けてしまう事ができないんだよね、きっと。日本人全員が激しく挫かれ、内省してしまったというか。それは、敗戦に至る歴史の流れがとても必然的なものであったから…つまり、日本にとって敗戦というのは、それまでの自分自身の存在意義を、丸ごと否定されるような経験だったからだ、と。そういう事かな。
Silverboy:
そうだな、たぶんそういうことなんだと思う。で、その時にいろんな意味での伝統や美風も、因襲的なものとして全部丸ごと否定してしまったような部分があるんじゃないかな。まあ、日本の美風の多くが因襲的なものだということ自体は否定しがたいところもあるけどね。でも因襲的なものが即ち悪いとも限らない訳でさ。
mine-D:
そうそう。因襲的であるからこそ成り立つような文化もあった訳だしね。それを丸ごと否定して捨て去ってしまったんだから、大きな断絶が生じるのも仕方のない話だよね。
さて、そうやって戦後、日本という国は色んなものを捨て去ってしまわざるを得なかった状況だったんだけど、そうやって捨てられたもののうちのひとつには、いわゆる「軍国主義教育」があるよね。で、「戦後民主主義教育」がそれに取って代わった、と。戦後すぐは「平和国家日本」として生まれ変わるべく、そうした理想主義的な思想が力を持っていた時期は確かにあったと思うんだけど、周知の通りここへ来て戦後民主主義教育の弊害についての指摘はいわゆる「右寄り」思想の人たちから出されているし、ここネット上では特に右寄り思想の人間の人口比率が高いようにも感じるんだよね。まあ、いずれにせよ一般のメディアにはなかなか載らない論調が見られる事は確かだ。嫌韓感情とかね。
その辺りの「ウヨ」「サヨ」問題についてはどう捉えてる?
Silverboy:
う〜ん、僕自身も思想的にはかなり保守反動だと思うんだけど…。ただ、シンプルな左翼というのは完全に破綻してるよね。なにしろソ連が瓦解した訳だし、冷戦というのはメインに対してサブがあるという二項対立的なものの考え方を背後から保障していた訳だけど、それがなくなって単純な「批判勢力」は寄って立つ基盤を失ったと。その中で現実に足場を持たない夢想主義、そう、僕は戦後民主主義教育というのは理想主義じゃなくて夢想主義だと思うんだけど、そういう夢想主義の脆弱さが露わになったということなんだと思ってる。ただ、それによってできた真空みたいなのを埋めるのが教育基本法や憲法の「改正」であったり安っぽい「自己責任」論であったりするのには「芸がないなあ」と思っちゃうけど。ネオコン、だってさ。安っぽいよな。マーガリンか、おまえは、と。
ただね、海外に住んで逆にナショナリストになったというか、それで「国家」というものの存在に自覚的になる人は結構多いみたいだね。日本で普通に生活してると「国家」の姿はなかなか見えないから自分がそれに必然的にコミットしてることを意識できないんだけど、外国で、祖国を離れて生活してると、自分と「国家」の関わり、祖国とか母国とかいうものの意味には自覚的にならざるを得ないところはあると思う。特にちょっとドライブすると国境があって隣の国あるようなところでは。
mine-D:
うーん、確かに普段日本で暮らしていると、「日本という国家」に国民としてコミットしているという感覚は本当に薄いよねぇ。その辺が、さっき言った「伝統を継承している」意識が低い事の原因としてあげられるのかもしれないけど。
それと、今Silverboyが言った「ウヨはウヨで芸がない」というのは、すごくよく分かるな。確かに戦後日本のぬるま湯のような民主主義の蔓延には問題がある訳だけれど、ウヨは…おれが言ってるのは「新しい歴史教科書を」の人たちとか、石原都知事だとか、ネットでそれっぽい事を書いてる人たちなんかの事なんだけど…けっきょく「アンチ戦後民主主義」に酔っているだけのような気がしてね。サヨが力を失ったらウヨまで静かになっちゃった感じで、それじゃダメでしょう、と。
Silverboy:
戦後民主主義のええ加減さを批判するパラダイムがいきなり「愛国心」か、という違和感な。もっとそこの隙間を埋めて、現代的な問題意識にも応える価値基準みたいなものがないと苦しいだろ、やっぱり。でも、対抗価値の見いだせない中で自分の足場を自分で固めて行くというのはしんどい作業のはずなんだよ。そういうしんどい作業を引き受ける力がないから、国民の多くは伝統から切り離されたままフラフラ漂流してるのかもな。
mine-D:
そうなんだよな。おれが言いたいのは、素直に自分の生まれ住んでいる国を大事にしよう、愛して行こうという気持ちは、大事にしていいと思うし、現代的な文脈の中でそうした「愛国心」の意味、意義を考えていくのはまったく悪い事とは思わないのね。でも、例えば国旗国歌の強制なんてのは完全に逆効果でしょ。愛国心なんて人から強制されて根付くようなものであってはおかしい訳でさ。そもそも国旗国歌を巡る今のドタバタなんて、滑稽というしかない。本質的なところからあまりにも遠く離れすぎているように思うんだよね。
自分自身に即して言うと、ウヨ的立場にせよ、サヨ的立場にせよ、この問題を考え始めるとどうしてもつまらない対立構造に絡め取られてしまう嫌いがあるから、そうではない、中道的な立場からこの問題を考えたいと、この頃強く思ってるんだよね。まあこの問題は天皇制とかも絡んでくるし、とかく一筋縄ではいかないって面はあるけどね。
Silverboy:
そうだね、リベラルな物言いをするとプロ左翼とかプロ市民活動家とかに取り込まれるし、保守的なことを言うと右翼になっちゃうしな。それを恐れずにモノを言うのは難しいと思う。すぐに「この人は右」とか「左」とかレッテルを貼って、それで「あの人は右だから」とか「左だから」という発想の仕方をする人がいるから。それってほんとバカだと思う。
でもまあ大多数の日本人は、そういう「意見」とは無関係なところでふわふわと浮き草的に漂ってると思うんだけど、そういう平均的な「大衆」層が「伝統」から切り離されたということなのかもな。
ま、僕は日の丸は清々しくも潔い、美しい国旗だと思ってますけど(笑)。何しろ「日の本の国」のシンボルだもんな、あれ以上明快な旗はないよ、マジで。仰ぎ見るに値する美しさだと思う。
mine-D:
まあ、純粋にデザイン的な事を考えてもアレは確かに美しいよね。シンプルだし。と、日本国民すべてが素直に言えるような状況ならいいんだけどね…って問題があるんだよね。
レッテル貼りという事に関して言えば、河上イチロー氏が「セット思考」と呼んでいた短絡的なものの考え方だよね。定食で言えば「豚生姜焼きは好きなんだけど、一緒に入ってる筍と椎茸の煮付けはあんまり好きじゃない」って事は普通にあるんだけど、周りからは「あの人は豚生姜焼き定食が好き!」と決めつけられちゃうみたいな。
それでまあ、おれとしては今のように「浮き草のように漂っている大衆」たる自分の状況がどうにも居心地が悪いってのがあって。プロ市民みたいに「運動」に精を出す気はさらさらないけど、かといって「日本?国家?関係ないしぃ。よくわかんないしぃ」で済ましてしまうのもイヤなのね。
だから、ここはひとつですね、我々二人でもって、もっと意識的に日本という国にコミットしていけるような具体的な方法というものをね、提案というか、提言してみたいな、と思った訳なんだけど、どうだろうね?ただ状況分析しているだけでも面白くないしね。
Silverboy:
ははは。豚生姜定食な。まあ、豚生姜定食に筍と椎茸の煮付けはあんまり入ってないかもしれないけどな。でもトンカツ定食は好きだけどキャベツの千切りは嫌いだってことはあるしな。ていうか、みんな本当にキャベツの千切りって美味しいと思って食べてんの?
mine-D:
…いや、まあ「豚生姜定食に筍と椎茸の煮付け」は「ねーだろ」って感じだけどね(笑)。
Silverboy:
ま、それはいいとして、どう日本という国に意識的にコミットできるか、ねえ。難しいこと言うね。それも具体的にね…。
あんまり具体的じゃないかもしれないけど、ひとつのヒントというのは、まず国家なんてことより、自分の日常生活にきちんとコミットするってことにあるんじゃないかと。自分の日常生活、家庭、職場、友人、そうした関係すべてに政治的なモメントは内在してる訳だし、そこにきちんとした足がかりを持てないと、国なんて大きな共同体にいきなりコミットはできないよね。
あと、日本人は自国の歴史にも、地理にも、文化にも、圧倒的に無知です。これは間違いない。外国の語学学校とかでいろんな国から来た生徒がそれぞれ自分の国のことを紹介するときに、日本人くらい自分の国のことを知らない国民はいない。それでなくても外国に行くと日本という国のことを説明する必要があちこちで出て来るんだけど、何にも知らないんだよね、僕も、実際。外国が好きで外国に行ってみたらむしろ自分の国のことが分からなくて恥かいたなんてことは十分ある訳で。その辺にもヒントはないかな。
mine-D:
日本人が自国の歴史その他に関して圧倒的に無知だというのは、おれもそうじゃないかとは思ってたんだが、やっぱりそうかね。おれの数少ない体験を通じてもその感じは強く抱いていたんだけど、なんか自分も含めて「日本を説明する」場面になると本当に困っちゃうというか、「なんで説明しなきゃなんないの?」みたいな感じになっちゃうんだよね。対して外国人は自己説明というか、その辺をきちんとやれているように感じるんだよね。
いや、情報量にはもちろん個人差があるだろうけど、なにかこう、決定的なところで共通認識が欠けているというか、そういうのが日本人だけに特徴的なような、妙な感覚があって。基本的なところで間違った選択をしたまま、おれたちずーっと来てしまっているのではないか、というような不安感を抱いてしまうんだよね。
片岡義男氏の「日本語の外へ」って本は日本語の構造そのものが、日本人をして「個人」として存在させにくくしているという事を語っているすごく面白い本なんだよね。英語の「I」に相当する日本語はないって言ってるの。いかなる関係性にも左右されない個人としての認識がない、というところが「自国を説明できない日本人」につながってるんじゃないかって気もするんだけどな。ま、この本はとにかく面白いのでこの対談を読んでいるあなたに、強く勧めておきます。
Silverboy:
何かさ、知識がないという以前に、自分のことをだれかに向かってきちんと説明するスキルというのが決定的に欠けてる気がする、我々には。やっぱり島国で、そういう、自分たちと背景を共有しない人に、自分たちのことをきちんと言葉で説明して分からせるという経験も必要もなかったということが大きいのかなと思ってしまう。
例えば言語や宗教や民族の違う人たちとの往来の中で自分たちの存在を確保して行くという相互作用的な経験てすごく少ないもん、個人的にも、民族的にも、歴史的にも。訓練の問題もあると思うけど、やっぱり大陸、ヨーロッパなんかはずっとそういう摩擦と妥協の中でやってきた分、自分のことをきちんと説明するということが当たり前の文化としてあるんだろうな。
mine-D:
なるほど。ただアメリカなんかは日本と同じく地理的にはほとんど孤立している状態にもかかわらず「自己説明」の土壌はしっかり引き継がれている感じは受けるね。まあ、人種、民族の問題なんかが絡んできて必然的にそうなっているのかもしれないけど、やはり決定的に「個人」としての在りように関する認識が我々日本人とは違うと思うな。
うーむ。ここまで自分ではかなり真剣に「意識的に日本という国にどうコミットするか」を考えてきたつもりなんだけど、考えれば考えるほど分からなくなってくるような気がするな。困ったもんだよ。というのも、おれが感じる「日本人らしさ」というのは、これまで挙げてきた欠点、すなわち閉鎖的であったり個として確立されていなかったり自己説明責任を放棄していたりする、まさにその部分にこそ存在するような気がしてきたんだよね。欠点=個性という見方もできるだろうし。江戸時代に優れた文化が生まれたのも、ほとんど自省する事なく閉ざされた環境の中で自らの特徴を進化させてきたからじゃないのか、そんな風にも思ってしまうんだよね。
Silverboy:
アメリカは島国といっても世界から移民が集まってできた国で、黙っていても分かるという共通の基盤がないからな。主流はヨーロッパ人だし。
日本の美風が結局そういう極めて閉鎖的なものに依存してたんじゃないかというのはそうかもしれないと思う。だからグローバリゼーションの時代にはどうやっても生き残れないものだったのかなあ。日本文化が前提にしているものってすごくデリケートで壊れやすいものだったりするし、それってポップ・カルチャーとは所詮勝負にもならないよな。
mine-D:
ん。対ポップ・カルチャーの戦いは日本だけじゃなくて世界中の様々な文化が苦戦を強いられているよね。エジプトのスフィンクスの目線の先にはケンタッキー・フライドチキンが…みたいな話で。
うーん、困ったなぁ。日本文化特有の精神、日本人らしさというものが、もし曖昧で壊れやすくて簡単に捨て去ってしまえるようなものなら、おれたちがこれから「日本人として」生きていく上で何を拠り所にして行けばいいんだろう。さっきSilverboyが言ったように個人レベルで身の回りの事象にきっちりコミットしていって固めて行くというのは正しいと思うし、おそらくそれが今のおれたちにできる事だとは思うんだよ。でも、なんというかこう…求心力がないというか、国家としての日本を意識できるような「なにか」が欲しいと思ってしまうんだよね。となると天皇制って話になっちゃうのかな。とにかく、あまりにも多様化していてバラバラな今の状況が、どうにも居心地悪いんだよね。
Silverboy:
そうだなあ、そこで天皇制に回帰するというのも結構ありだと思うよね。三島もそうだったかもしれないし。でも僕にはそれは今いちピンとこない。そこで日本という国の存在価値をストンと「天皇制」だけに負わせてしまっていいのかという気がする。
でも、じゃあ、ジャパニメーションか、オタク文化か、っていうとそれも違うよね。その、実感できる「オレたち日本人」て感じがなかなか見つからないところが国家的なアイデンティティの危機ってことなんだろうけどさ。
ただ、そこでひとつのポイントになるのは、海に閉ざされた島国の圧倒的な均質性と排他性な。あと、宗教的な潔癖性とか。この辺は「日本」という国の特質を考えるときの大きなキーになると思う。概ねひとつの民族が大きな混血もなくひとつの言語を話して独自の文化を築いてきたという文化的ガラパゴス諸島みたいな特異性はそれ自体すごいユニークだよ。
mine-D:
おれ個人でいうと陛下ご本人に対してはすごく惹かれる気持ちがあるし、間違いなく尊敬できる方だとは思ってるんだよね。日本国の象徴として陛下を観想する事にはなんら意義はないし、実際自分自身がそうだし。ただ、乃木大将みたいに陛下が崩御されたら自分も死ぬと覚悟するほどのコミットメントかと言われると…正直それは苦しい。ウヨ含めてみんなそうだろうけど、そこまで強い心酔の仕方はできてないというか。やはり個人的にも「天皇制」を日本の存在価値の中心に据えて行く事は、ちょっと無理なんじゃないかと思ってる。もちろん、Silverboyが言うようにヲタ文化やらジャパニメーションを存在価値として据えていく事に至っては問題外だと。
じゃ、どうするかという話になるんだけど、今Silverboyが指摘したような日本という国が持つ特質性あるいは特異性(時代に左右されないような)というのは、確かに「外」に対しての個性として打ち出していけるような切り札に成りうる可能性はあると思うんだよね。ただ、重要なのは、さっきも出た話だけどそれを「自己説明」としてきちんと打ち出して表現していけるようなスキルが、我々日本人に求められてくる事は間違いないと思う。繰り返しになるけど、やはりどうしてもおれら日本人はその辺りが弱いと思うんだよね。その辺はどう考える?
Silverboy:
やっぱりそれは同質性の高い集団の中で外の世界と積極的に関わる契機のないまま毎日を過ごして行くことの必然的な結果だろうね。ただ、島国である日本だってもはやそういう精神的鎖国に閉じこもっている訳には行かないんで、否応なく外国人が流入してくるし、日本から一歩も出なくてもそういう自己説明を求められる局面は出てくる訳だよね。
それはやっぱり教育ということに尽きると思う。自分の思っていること、感じていること、知っていることを、まず日本語でいいからきちんと説明する訓練。英語なんかよりその方がよっぽど大事だよ。英語なんて必要に迫られればどのみち話せるようになるんだから、「伝える」ということ、表現する訓練、それをきちんとやるべきだろうな。
それにしても自分で言ってて思ったけど、精神的鎖国って的確かも…。
mine-D:
うん、精神的には我々は未だ天下泰平の眠りの中なのかもしれない。
そうだね、「伝える」「説明する」っていう姿勢をキープし続けるのは、ポイントになるかもしれないね。確かに日本語で「伝え」られない人間が英語習得したって意味がないだろうしね。だから意識して、くどいくらいに「伝える」。「説明する」。「黙っていても伝わる」という思考回路から抜ける…。こういう事を自分の身の回りレベルで少しずつやっていく、鍛錬を積むというやり方はいいかもしれない。
Silverboy:
そうだな、欧米人の独善的なところは別に真似なくてもいいと思うけどな。
ともかく、何か逆説的かもしれないけど、日本という国の特殊性に寄りかからないことが日本という国の特殊性を見つめ直す契機というか。あるいは日本という国のシステムの自動性、自明性を信用しないというか。その中から、じゃあ、日本て何? 日本人であるオレ、美しい日本の私て何? って考えるきっかけが生まれてくるような気がするな。
そういう意味では僕にはやっぱり7年間のドイツ暮らしは大きかった、と。
mine-D:
なるほど。いやしかし、今回はかなり壮大なテーマに取り組む事に決めたんで、最初はどうなるかと思ってたんだけど、なかなか実のある議論ができたんじゃないかな。Silverboy自身が言うように、ドイツで暮らしていたからこそのユニークな立場からの視点もあったし、為になる話がいっぱい聞けてよかった。
世界全体が、これからボーダレスな方向にますます進んでいくだろうし、2005年現在で言うと中国や韓国との関係、国連常任理事国入り問題など、国際社会の中で日本がどう振る舞うか、意志決定をしなければいけない局面はいっぱいある訳だから、今一度我々日本人が「日本人であること」について問い直してみるのは、重要な事だと思うね。
今回もありがとう。お疲れ様でした。
Silverboy:
いやあ、こちらこそありがとう。面白かったです。好むと好まざるとにかかわらず、日本という国に生まれて毎日日本語をしゃべりながら生きてる僕たちとしては日本という国を背負わない訳には行かないんだし、無関心ではあり得ないよね。ま、毎日そんなことばっかり考えてる訳じゃないんだけどさ、もちろん。
じゃ、お疲れさまでした。またやろうな。
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